顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
アビゲイルと過ごすたびに、心が冷えるばかりだ。
どうして。なぜ。本物のイヴはどこかにいるはずなのに、このような利己的な女とともに過ごさなければいけないのか。
時間をかけてこちらを籠絡するつもりだったのか、はたまた別の目的か。アビゲイルにイヴを騙らせるのはリスクが大きすぎると思うのだが、グレンソン公爵の思惑がわからない。
ロニーの御印が発現するまで、あと二年――長ければ四年。その間この膠着が続くのかと思うと、気が滅入る。
セオが天井を仰ぎ、もう一度深く息を吐いたときだった。
ノックの音が響いたと思えば、返事する前に開いた。これではノックの意味がない。
それだけで入ってきた人物が誰なのかが察せられる。
「っス。戻りました」
フロゥだ。今日はレイネの街の一般人に扮しているようだ。
飾り気のない麻のシャツの袖を肘まで折り込み、チャコールのズボンに同色のベスト。港町の青年そのものといった風情だ。
「あなたのノックは飾りだけですか」
いつものようにレスターが突っ込んでいるが、フロゥはへらっと笑うだけ。
そうしてセオの側に来たかと思えば、すっと表情が変わった。砕けた口調はそのままに、声を落とす。
「陛下。ちょっと面白い話、仕入れてきたんスけど」
「面白い話?」
「まずこの街。やっぱり三年ほど前から、激しい嵐もなければ、目立った不作も疫病もない。景気はいいし、人口も年々増えてるとか」
経済が好調なのは何度も報告で聞いていたが、やはり自然環境までもが味方についている。
「やっぱ、『星の子』の恩恵だと思うんスよね」
「ああ」
そうだ。この街への長期滞在を決めたのも、ずっとそうした報告が気になっていたからだ。
ここ数年、商業都市レイネの経済は右肩上がり。その理由を挙げるならば、運がいいと言うほかない。
天候に恵まれ、海は穏やかで、不漁の年すらない。
それはセオが持つ『星』の影響によく似ていた。だからこそ休暇を口実に、この街に拠点を置いて本物の『星の子』がいないか捜索すると決めたのだ。
「それで、ここからが本題なんスけど」
フロゥが得意げに口の端を上げる。
「この街に、不思議なまじないがかかった守り袋を売ってる雑貨屋があるらしいっス。持ってると悪い夢を見なくなるとか、よく眠れるようになるとか」
セオの呼吸が止まった。
「――守り袋?」
いや、喜ぶのは早い。わかっている。
跳び上がりそうな所を必死で抑え、セオはフロゥの顔を凝視する。
そうだ、期待しているのだ。もしかしてと逸る気持ちを抑えられない。
「評判みたいっスよ。コラーロ通り沿いの雑貨屋で、ここからも歩いて――って、陛下!?」
言い終わるより先に、セオは立ち上がっていた。
考える前に、そのままの服装で外に飛び出している。
「お待ちください!」
レスターの制止も耳に入らない。髪色を変えるのも忘れ、外に出た。