顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
第4章 潮風の街で、再び
(1)珍客
海商祭も三日目となったが、相変わらず目まぐるしい忙しさだった。
代筆コーナーも、無理のない範囲で細々と続けるつもりが、なかなかの反響だ。
観光客だけではない。意外にも地元の男性客が多い。
普段は手紙など書かない船乗りや同じ商店街の男性陣がふらりと現れては、照れくさそうに注文してくる。
中にはラブレターの代筆まであって、思わず筆に力がこもった。
とはいえ、早々にカラーインクが売り切れとなり、デモンストレーションを行う必要がなくなった。
代筆業は以前と同じくカウンター裏で行うとして、代わりにカフェスペースを復活させる。カティアは焼き菓子の甘い香りに包まれながら、今日もくるくると働いていた。
朝の光が店内を柔らかく照らしている。
棚に並んだ色とりどりの小瓶が陽を受けてきらめき、天井のドライフラワーが海風にゆるく揺れていた。
「ノーラ、貝殻のケース全部捌けちゃった! 代わりになにを並べる?」
「裏にもう少し在庫あったはず! クッキーの追加も仕上がったから並べてもらえる?」
「了解!」
ノーラと目を合わせて笑う。
忙しいけれど充実している。お客さんの笑顔を見ているだけで、心が浮き立ってばかりだ。
ラピスは裏口を出たところにある例のたまり場で、近所の子供たちと遊んでいる。
昨日まではずっと店番を手伝ってくれていたけれど、どこの子も、そろそろお手伝いに飽きてきたらしい。誘われるまま、「いってきます!」と元気に駆けていった背中を思い出して、つい頬が緩んだ。
そんな日の午後だった。
丁度客足が途絶えたタイミングで、来客を知らせるドアベルが鳴る。カティアは商品を並べる手を止め、入口のドアに目を向ける。
「いらっしゃいま――」
声が、途切れた。
入口に立っている青年の姿を見て、目を見開く。
黒髪の青年だった。
背が高い。仕立てのいいシャツに、落ち着いた色のベスト。さりげない装いだが、纏う空気が街の人間とはまるで違う。その佇まいには隠しきれない気品があった。
けれど、カティアの目が釘付けになったのは、そこではない。
ラピスラズリの瞳。
濃い青の瞳自体は珍しくはあれど、ラピスの色彩と完全に一致するその深い瑠璃色。
(――まさか、セオ)
心臓が跳ね上がった。
いつか見たみごとな濡れ羽色の髪。それが、かつて酒場で会ったあの人の姿に重なる。四年という長い年月が過ぎ、おぼろげになっていた彼の輪郭がくっきりと浮かび上がった。
(ありえない。――でも。似てる)
毎日のように抱き上げ、笑い合っている最愛の息子と。
(どうしよう、どうすれば)
上手く頭が働かなかった。
だって、目の前の男性が本当にセオだとすれば――そして、カティアの推測が正しいのであれば、おそらく彼はこの国の王族。今、このレイネの街にやって来ているという噂の、若き国王陛下だ。
カティアが動けないでいるあいだ、相手の男性もじっとカティアを見ていた。
驚いているのだろうか。大きく目を見開き、ごくりと息を呑む。そうして口を引き結んでから、長い足で一歩、二歩とこちらに近付く。
「――もし」
「…………っ」
人の記憶は、声から失われていくのだという。
でも、彼の声は耳の奥に心地よく響き、カティアの心を震わせた。
「ここに、まじないのかかった守り袋が売っていると聞いたのだが」