顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして

 瞳と同じ色彩のワンピースに身を包み、にこりと微笑んでいる。ただ、その瞳はちっとも笑っていなかった。
 ああ、なるほどとカティアは理解する。ラピスは彼女の持つ独特な威圧感に怯えたのか。

「……なぜここがわかった」
「ここ最近、毎日のように出かけていらっしゃるから心配で」

 セオの声がたちまち固くなり、表情をこわばらせる。
 カティアもまた、接客の笑顔を貼りつけたまま、その女性の顔を見つめた。

(この人、どこかで……)

 記憶の底が、微かにざわめく。
 知り合いではない。話したこともない。けれど、この顔をどこかで見た気がする。

 ぼんやりと浮かんだのは、王都ではなく下町の景色だった。カティアが守り袋を卸していた馴染みの雑貨屋。そこに、同じく品物を卸しに来たと顔を出した娘がいなかったか。
 確か、下町にあった小さな商店の名を名乗っていたような――。

(……あの商人の、娘?)

 確証はない。一度か二度、すれ違った程度の記憶だ。
 ただ、カティアが変装のために変えた髪色と瞳の色がたまたま被ってしまっていた。
 そのせいか否か、その子がカティアの顔を凝視してきたものだから、妙に記憶に残っている。

 いや、記憶にこびり付いていると言ってもいい。
 だって、あの子の瞳は、学校でカティアを陥れようとしていた令嬢たちの瞳と同じだった。カティアはそういう視線に対し、警戒心を持つ癖ができている。
 だからあの商人の娘にはけっして接触しないようにしようと心がけていたのだ。適度な距離を保って、関わらずにやっていこうと。
 女性はにっこりと優雅に微笑み、店内に足を踏み入れる。そしてぐるりと周囲を見回した。

「素敵なお店ですね。セオ様がお気に入りなのも納得です」
「そうだな。店員の趣味がいいのだろう」
「ふふ。でもどうしてこんなお店に? セオさまには少し、格が足りないのでは?」
「アビゲイル」
「……申し訳ございません。セオ様を想っての言葉でしたの」

 強く咎められ、さっと、アビゲイルと呼ばれた女性は目を伏せた。

(下町の商人の娘には、見えないわよね)

 所作は洗練されており、カティアの記憶の中の女性と同一人物だとは思えない。どう見ても貴族令嬢そのものだ。

 お忍びであるセオは街に溶け込んでいるというのに、彼女にはその気がないのか、身なりも整いすぎている。
 儚げで憂いを含むさりげない嘆きは、他の貴族令嬢たちの姿を彷彿させる。

 そうだ、こういった嘆きを嫌というほど見てきた。そうして周囲の気を引くのが常套手段で、カティアとはどうしても相容れなかったのだ。
 アビゲイルは棚の商品にそっと指を伸ばしながら、困ったように小首を傾げてみせた。

「でもおかしいわね。店員さんはいらっしゃらないのかしら? 出迎えもないなんて、少し寂しいわ」

 声は柔らかい。けれど、その一言がカティアの胸にちくりと刺さった。

「申し訳ございません。――いらっしゃいませ」

 慌ててカウンターから出ると、アビゲイルがふわりと微笑んだ。

「ああ、よかった。――ねえ、こちらの棚のもの、少し見せていただけるかしら」

 彼女は少しセオたちから離れ、話題を切り替える。壁際の棚へするりと歩いていき、一度振り返った。

「セオさま、わたくし、こちらの方にご案内いただきますわね」

 控えめに微笑むその姿は、どこからどう見ても控えめな令嬢そのものだ。

「あまり迷惑をかけるな」
「とんでもございません。わたくし、出自が出自でしょう? ですから、こういったお店が懐かしくて。少し見るだけですわ」
「……そうか」

 セオの声はずっと強張っている。
 しかし、背後に隠れたラピスがなにか話しかけているのか、注意をそちらに向けたようだ。
 アビゲイルも店の奥へカティアを連れ歩いたかと思えば、耳元で囁きかけてきた。

「平民に落ちぶれた気分はどう?」
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