顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
耳朶に響く低い声。この声に何度ときめいたのかわからない。
花火の轟音の中で、彼の声だけがはっきりとカティアの耳に届く。
「俺、どうしても君に伝えたい言葉が――」
心が震える。
多分、セオも同じだ。自分の立場も、しがらみの全部横に置いて、素直な自分でいたら。
あのダンスの瞬間、彼とカティアは同じ感情だったと。剥き出しの自分でいたと思えるから。
多分――ううん、きっと。カティアと同じ気持ちだから。
「ごめんなさい」
だからカティアははっきりと告げた。
全部聞くのはつらすぎるから。あるかもしれない未来にしがみつきたくない。恋心に振り回されて、手に入るはずがないものを夢見たくなかった。
セオと、カティアと、そしてラピス。三人が同じ家で、同じ場所で、全員そろって笑い合い、生きていく未来はありえない。
詳しく語れようはずもない。だからこれが、カティアの精一杯の返事だった。
繋がれていた手をゆっくり振り解く。
セオの目が見開かれた。
瑠璃色の瞳に、花火の光が揺れている。
ああ、この瞳を見られなくなることが、こんなにも――。
「セオのおかげで、少しの間でも夢を見ていた気分だったわ」
声が震えないよう、必死で笑う。
「ありがとう。これで明日からも、ラピスとふたり、頑張って生きていける」
「カティア……」
セオの手が、行き場を失ったまま宙に浮いている。
花火がまたひとつ、大きく咲いた。歓声と拍手が夜空に響き渡る。
その光の中で、カティアはくるりと背を向けた。
ポケットの中の守り袋は、最後まで渡せなかった。