顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
(5)カティアの正体 ※セオ視点
◇◇◇
いつの間に雨が降っていたのだろう。
自分の気持ちと向き合うのに精一杯で、どれほど時間が経っていたのかすらわからない。
ただ、ぱたぱたと屋根を鳴らす雨の音だけが、この宿の最上階に響き渡る。
セオ――シュタルド国王であるセルジュリウス・オルト・イヴォン・シュタルドは、ソファーの背もたれに深く身を沈め、天井を仰いでいた。
部屋の隅には、フロゥが口を噤んだまま壁にもたれている。
いつもだったら真っ先に茶化してきそうなものの、帰ってきてからずっとこの調子だ。いっそなにか言ってくれた方が楽なのだが、殊勝な態度がかえって傷口に沁みる。
テーブルの上には、手つかずの酒瓶。酒で全て流してしまおうと思ったはずなのに、グラスに注がれたワインに口を付ける気にはならなかった。
『ごめんなさい』
花火の残響とともに、あの言葉が耳にこびりついて離れない。
カティアにはっきりと決別されたことが、こんなにも堪えている。胸にぽっかりと穴が空いたみたいだ。
(ようやく見つけた、つもりだったのに)
――四年間、探しに探し続けた彼女を。
イヴのことが、どうしても頭から離れなかった。
名前は違う。色彩も違う。別人だという可能性もゼロではない。
それでも重なるのだ。何気ない仕草に、ふとした表情の端に、おぼろげだった記憶の向こうの姿が蘇る。
暗がりから、あの夜の彼女が鮮明に浮かびあがるように。――いや。正確には、今のカティアの姿で上書きされているような感覚だが。
たった一夜、惹かれるべくして惹かれた。
あんな女性、イヴ――いや、カティアの他に知らない。
ならば、ラピスは。あの銀髪の少年は、自分の息子なのかと何度も確認した。
ラピスの瞳に八芒星が浮かぶ瞬間がないかと、それとなく見つめ続けた。けれど、一度たりとも確認できなかった。
当然だ。まだ三歳だ。瞳に魔力を乗せられる年齢ではない。
それでも、本能で彼女たちだと叫んでいるのだ。絶対にイヴと、あの夜、彼女と愛し合ってできた子供だろうと。
だって、あの親子と接していると、本当に居心地がよかった。
カチリと凹凸が噛み合うような。ずっと空いていた場所に、ようやく収まるべきものが収まるような。あの感覚は、錯覚なんかじゃないと信じたい。
なのに、カティアはなぜ名乗り出てくれなかったのか。
セオのことなど、忘れてしまっているのか。
――いや、手跡をわざわざ変えていたし、むしろ意図的にイヴとの繋がりを隠していた。
なにか事情があるのだろう。わかっている。
四年前は婚約者がいると言っていたが、結局は結婚しなかったようだし。こんな街で母子ふたりだなんて、相当な苦労をしてきたはずだ。
セオが側にいれば、いくらでも護ってあげられるのに。
ため息をついていると、カツカツという革靴の音が響いてくる。この規則的な足音。誰かなんて顔を見なくてもわかった。
ノックの後に顔を出した男を見もせず、ぼそりと告げる。
「…………振られた」