顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
誰もが息を呑んだ。
カティアの正体が、侯爵令嬢エルカティア・イヴ・リーヴス。
だとすれば彼女は、かつて王太子だったセオの婚約者だった令嬢ではないか。
「っ、こんな馬鹿な話があるか!」
ダンッ!とテーブルに拳を叩きつける。
「カティアがリーヴス侯爵令嬢!? だったら俺は、俺は……っ!」
自らの愛する人を、自らの手で排した形になる。
「全部、俺のせいじゃないか!」
ああ、わかった。
どうしてカティアが、頑なにセオのことを警戒し続けていたのか。
間違いなくカティアは、セオの正体に気付いていた。
となれば、警戒するのも当然だ。
だって、セオは、彼女の言葉を聞くどころか顔すら見せず、あっさりと婚約を破棄した最低な男だ。婚約者を顧みるどころか、疎ましく思っていた。だから醜聞(スキャンダル)にこれ幸いと、あっさりと捨てた。
そのせいで彼女が実家から勘当されたと知っても、なにひとつ心を動かされなかった。
噂の真偽もどうでもいい。いなくなったことに清々したくらいだ。
あの夜、セオは誓っていたではないか。
『不安なのはわかっている。でも、俺は決めたから』
そうだ。エルカティアという婚約者がいたのに、軽薄にプロポーズをした。
『絶対に君を迎えに行く。家の取り決めなんて関係ない。俺の花嫁は、君だ』
(――彼女が、頑なに結婚を嫌がっていた引きこもりの婚約者とは、俺か)
そしてセオもまた、婚約者であるエルカティアの文句を、彼女に言い続けた。本人だとも知らずに。その上で、虫のいいプロポーズまでして。
「俺は! あんな言葉を言ったのに、四年間、真実に気付かず彼女を見つけられなかった!」
視界に映るワイングラスが、わずかに滲んだ。
「俺だ」
どうしようもないほど馬鹿なのは。
「俺だ。全部、俺のせいだ」
貴族として育った令嬢が、たったひとり王都に追放される恐怖はいかほどだったか。
しかも、子を身ごもっていたなんて。
セオのせいで、カティアはひとり財産もなく、見知らぬ地で子を産み育てたのだ。その年月を思うだけで、後悔と、自分への怒り、焦燥、絶望――様々な感情が押し寄せてくる。
「……振られるわけだ」
自分が好かれる要素なんて、なにひとつなかった。
己の不甲斐なさに吐きそうになっていると、レスターが静かに口を開く。
「泣いている場合ですか」
淡々とした声だった。けれどその冷静が、かえって突き刺さる。
「四年前、あなたはエルカティアという令嬢に興味を持たなかった。顔も見ず、噂だけで判断し、どうなろうと知らぬ存ぜぬで突き通した。――今あなたがやっていることも同じではないですか?」
「同じ?」
「ええ。ご自分の後悔ばかりで、肝心の彼女自身を見ていない」
息が詰まった。
違う、とは言えなかった。
「はっきり申し上げます。四年前のあなたは最低でした。イヴという女性を探していたと言っても、結果を出せなければ意味がない。――その代償が、母子ふたりの四年間です」
容赦がない。けれど、一言一句が正しかった。
反論できるはずもなく、ただ拳を握り込む。
「――まあ、探し出せなかった我々も同罪ではありますが」
レスターが悔しそうな表情を見せるも、それもわずかの間。
レスターの声が、ほんの少しだけ温もりを帯びる。
「それでも。あの夜、イヴ様もあなたの正体を知らなかったのでしょう?」
「……ああ」
「ならば。あの夜惹かれ合ったのは、王でも侯爵令嬢でもない、剥き出しのあなた方自身だったということです」
セオは瞬いた。
レスターの言葉が、すとんと胸に落ちてくる。冷ややかな双眸が、ほんのわずかに和らいでいるように見えた。
「少なくとも、あなたの口から聞くここでのカティア様のご様子は、不幸そうには聞こえませんでした」
そうだ。
あの雑貨屋で、カティアは笑っていた。ラピスの頭を撫でながら、ノーラと冗談を言い合いながら、慎ましくも温かい日常を、大切に生きていた。
セオが訪ねるたびに、戸惑いながらも迎え入れてくれたのだ。
警戒しながらも――怯えながらも、突き放さなかった。
はにかんだり、慎ましげに微笑んだり。積み重なる思い出を、大切に胸にしまってくれているように見えた。
「セオという剥き出しのあなたを、あの方も嫌えずにいるのではないですか?」