顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
そうだ。今日だって、ちゃんと彼女と手を繋いだんだ。まるで出会ったあの夜のように幸せな一日だった。
そしてそれは、セオだけが一方的に感じている感情ではなかったはずだ。
「今のあなたにできることは、ひとつでしょう? 誠心誠意、謝罪する。真実を――そして本心を彼女に伝える。互いに偽りで覆い隠したままでは、いつまで経っても触れ合えません。――違いますか?」
「レスター」
顔を上げた。
全部レスターの言うとおりだ。セオは彼の言葉を噛みしめながら、大きく頷く。
「んー……」
しかし、じっと聞いていたフロゥだけが、なにか納得できなそうに呻っている。
「どうした、フロゥ」
「いや。ひとつ疑問だったんスよ」
「疑問?」
なんのことだと問いかけると、フロゥはごく真剣な表情で告げる。
「カティアさん――っていうか、リーヴス侯爵令嬢に敵が多かったのはわかるんスよ。当時の王太子殿下の婚約者候補って事情が事情だし、狙ってる家、多かったスよね?」
「そうだな。王都で年頃の令嬢がいるほとんどの家が手を上げた」
「いろんな噂がありましたよね。でも、あのとき、例の醜聞(スキャンダル)を新聞に書かせたのはどの家かなと思いまして」
「…………」
セオは口を閉ざした。
当然そうなる。新聞に書かせるというのはかなりのリスクを伴う。裏がなければ、逆に訴えられても文句は言えないし、かなりの賭けだ。
「なによりも、あの人。アビゲイルとロニーっスよ。どうしてあの人ってば、陛下とカティア様が会った日の夜のこと、知ってたんでしょうね?」
――そうだ。
彼女たちの後ろにはグレンソン公爵がいる。そこまで調べていたのだ。イヴの正体についても、当然最初から知っていたのだろう。
その上でイヴと似ていたアビゲイルをイヴ本人に仕立て上げ、さらにロニーまで用意した。
グレンソン公爵は、セオたちが『星の子』を探していたことを知る数少ない貴族のひとりであったが、それにしてもやりすぎだ。
「ロニーに『星の子』と名乗らせてまで、なにを」
すでにグレンソン公爵は、十分な地位がある。今さらそんな危険な賭けをする必要があるだろうか。
「自分の息がかかった者を王妃、王太子に据え、国家を簒奪する。――用意周到に準備していたようですから、そこまで狙っていたとしても不思議ではありません」
レスターは淡々と述べたが、その眼差しにはわずかに翳りがあった。
「が、違和感はありますね」
「そうだな」
セオは腕を組み、窓の外に視線を投げた。
「勘当されたカティアには興味を失ったのか。カティアがこの街に移り住んでいたことまでは知らなかったのだろう」
「でなければ、ラピス様が生まれたときを狙って、ラピス様ご自身を攫ってしまえば済んだ話ですからね」
レスターの指摘は的確だった。
「まあ、彼女が子まで授かっていたと予想できていた人間は、誰ひとりいなかったようですし」
勘当された令嬢のその後など、興味を持たなかったのだろう。
「――助かったとは言えるが、間抜けなのは俺も同じだからな」
皆がしんと黙り込む。
その時だった。
沈黙の向こう。階下から微かに言い争うような声が届いたのは。
「……この声、またあの人っスか」
耳のいいフロゥが誰よりも早く反応する。静かにドアを開けると、その声がわずかながら鮮明になった。
「アビゲイルか」
セオは小さく息をつき、椅子の背に預けていた身体を起こす。
「かまわん。いずれ、話を聞かねばならなかった。今済ませてしまおう」
ラピスが本物の『星の子』であると確定すれば、アビゲイルは重罪人だ。遅かれ早かれ縄をかける必要がある。
それに、背後にいるグレンソン公爵についても色々と聞かなければいけない。
厳しい顔を貼り付けたまま階下を下りると、ロビーはちょっとした騒ぎになっていた。
真夜中だというのに、アビゲイルが警備の者たちを相手に声を荒らげていた。
「不審者でしょ!? どうしてその女を投獄しなかったの! あなたたち、それでも騎士!?」
甲高い声がロビー全体に反響し、夜の静寂を切り裂いている。
「――投獄? どういうことだ」
いっそう低い声で問いかけると、アビゲイルが弾かれたようにこちらを振り返った。
その瞳に混じる焦り。もう、彼女を逃がす気はない。
「話を聞かせてもらおうか。――アビゲイル」