顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
第6章 あなたに、伝えたくて

(1)またね


 そこには雲ひとつない、澄み渡った空が広がっていた。

 初夏の陽差しがレイネの石畳を白く照らしている。
 商業都市レイネの朝はいつだって賑やかだけれど、今日はいつにも増して、ノーラの雑貨屋の前に人だかりができていた。

 花屋のおばさん、食堂の夫婦、青果店のおやっさん、それからラピスのお友達まで。カティアたちが四年間お世話になった人たちが、こぞって見送りに来てくれている。

「かあさま! すごいね! みんな来てくれた!」

 カティアの隣では、すっかり元気になったラピスが、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
 そんなラピスの様子に、カティアは胸いっぱいになりながら、彼の銀色の髪を撫でた。

「そうね。ちゃんとご挨拶しなきゃね」

 まさに旅立ちに相応しい天気。カティアは眩しい太陽に目を細めながら、皆に向き直る。

 ――結局。
 あの大花火の夜の後、この日を迎えるまで三日かかった。
 本来はとっくに王都に戻らなければいけなかったセオも、無理をして滞在期間を延ばしてくれたのだ。

 休暇もかねた訪問とはいえ、延長した期間はきっちりと仕事で缶詰になっていたけれど。どうも、セオの腹心のレスターという眼鏡の男性が厳しい目で監視していたのだという。

『レスターは凍れる冷徹眼鏡様と呼ばれていてな。冷気で俺を追い立てて、椅子から立つことすら許されなくなるんだ』

 忙しい仕事の合間を縫って引っ越しの手伝いに来てくれたセオが、ぶるると震えながら教えてくれた。
 余程そのレスターという臣下を信頼しているのだろう。フロゥもそうだが、セオは心を許している人にほど気安い。

 引っ越し作業自体はそう時間はかからなかったが、長く住んだ街だ。挨拶もあるだろうと、無理して時間を確保してくれたのである。
 そうして今、ようやく旅立ちのときである。

「すまないな。皆のカティアを、俺が奪って行くみたいで」
「ちょ、セオ……!」

 言い方!と、つい顔が赤くなるのは許してほしい。
 今日のセオは、いつも通り髪を濡れ羽色に染め、小洒落たライトグレーのフロックコートにダークグレーのベスト、そして同色のトラウザーズ。ドレスシャツにはラピスラズリのタイピンをきらめかせ、いわゆる貴族然とした格好をしていた。

 それだけではなく、彼の後ろにはあきらかに格が違う、立派な馬車が鎮座している。家紋こそないけれど、彼がただの商人ではなく、それなりの家格を持った貴族であるとは誰の目にも明らかだった。

 まあ、先日のこともある。いくら真夜中であったといえども、あれだけの騎馬が押し寄せたのだ。あとから何台も馬車もやって来たし、それはもう大きな噂となった。

 物々しい雰囲気で、その後もいろんな憶測を生んでいたのだ。
 しかし今、この場が砕けた空気なのは、セオの持つ雰囲気のせいかもしれない。

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