顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
「ノーラちゃんっ!」
ぴょんっ、と小さな身体が飛び出した。そのままの勢いで、ラピスがノーラに思いっ切り抱きついている。
「いままで、いっぱいありがとう!」
「ああ。元気でね、ラピス」
ノーラがラピスの銀髪をくしゃくしゃと撫でる。ラピスは満面の笑みで頷いてから、名残惜しそうにその手を離す。
ラピスが終われば、次はカティアの番だ。
「ノーラ」
「ん」
「――本当に、今まで、ありがとう」
四年分の感謝を全部言葉にするのは到底無理だった。
絞り出したシンプルな感謝の言葉に、ノーラはくしゃりと笑う。
「あのさ。カティア」
そうして、少しだけ身体を寄せて呟いた。
「今まで黙ってたけど、あたし、実はね。ずっと、あんたの父親から頼まれてた。――あんたのこと、よろしくって」
「ええ。聞いたわ」
詳しい事情はセオが話してくれた。
リーヴス侯爵がノーラに使者を送り、生活費の援助をしてくれていたこと。勘当したはずの娘を、それでも案じ続けてくれていたのか。
にわかに信じがたい話ではあるけれど、それでも、カティアの中に信じたいという気持ちが膨らむ。
「あんた、父親と上手くいかなかったって、ずっと後悔してたでしょ」
「……うん」
「今なら、また違う関わり方ができるんじゃない? 王都に帰るんでしょ?」
ノーラは真っ直ぐカティアを見つめて、そう言った。
「ええ。――ええ、本当にそうね」
色々なことが頭をよぎった。
父親だけじゃない。色んな人との関わり方、生き方――あのときのカティアは未熟で、頑なで、恐らく色んなことを見逃した。
狭い自分の視野でしか世界を見ず、つまらないものと決めつけて。自分の方がよっぽどつまらない生き方をしていたと思う。
でも、今は違う。
今ならきっと、もう少し、マシな生き方ができる気がした。
「私、王都でもう一度、頑張ってみる」
「――うん。あんたなら大丈夫」
ノーラが両腕を広げた。カティアもそこに飛び込んで、ぎゅっと抱きしめる。
あの気の強いノーラの眦に涙が浮かんでいたのは見ない振りをしてあげた。でないと、ノーラは絶対に恥ずかしがって逃げてしまうから。
「手紙、書くわね」
「ん。待ってる」
「また、会いに来ていい?」
「当たり前だろ? いつだって、歓迎だよ」
そう言って頷き合う。
さよならの後は、いよいよ別れの時だ。
振り返ると、セオがそっと手を差し出してくれていた。その手に導かれ、馬車のステップに足をかける。
「みんな、元気で! ありがとう!」
「げんきでねー!」
カティアとラピスのさよならに、誰もが大きく手を振ってくれた。
そうして明るい陽差しの中、カティアたちは大好きなレイネの街をあとにした。