顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
(2)王都へ向かって
ガラガラと、馬車が街道をひた走る。
さすが王家の馬車というか、こんなにも揺れがなく快適な馬車に乗るのは久しぶりだ。
侯爵令嬢だった自分。また、あの頃と同じ王都に戻るのは緊張する。
でも、かつてカティアを閉じ込めていた冷たい街も、カティアが見ようとしなかっただけで、温かい場所なのかもしれない。
この国の王であるセオを見ていると、そういう風に思えた。
「かあさま! すごい! おしり! ふわふわ!」
高級馬車に乗るのは初めてだからか、ラピスがずっと興奮している。
病み上がりだというのに絶好調で、六人掛けの馬車のなかをあっちに座ったり、こっちに座ったりと忙しい。
「あまりはしゃがないのよ。――ふぅ。陛下、申し訳ございません。この子には貴族としての教育が全然足りてなくて」
「ははは! それくらいの方がいい。いい子でいすぎると、あそこでは息が詰まる。隠れて外に飛び出していくくらいが丁度いいんだ」
「それはどうかと思いますけど」
でもまあ、セオがそう言うのなら、なんとかなるのだろうか。
「『星の子』はな、父親から直々に息の抜き方を教わるんだ。――ほら、ラピス、おいで」
セオがラピスを手招きした。
ラピスはきゃー!と声を上げ、ぴょんとセオの膝の上に跳び乗る。
「これから君にも、ラピスにも、多くの苦労をかけると思う。だが、絶対に護りぬくから」
そう改めて宣言してくれるセオが、とても眩しく思える。
だって彼はこの国の王なのだ。これほど頼もしい存在はいない。だからこそ、弁えないといけないともわかっているけれども。
「ありがとうございます。――私は、ラピスの成長を近くで見られるだけで十分ですから」
つきんと胸が痛んだ。
ああ、欲望というのは本当に怖い。少し近付いたら、もっと、もっとと欲が出る。
(……駄目ね。早く、踏ん切らないと)
そう目を伏せるカティアに対し、セオは眉根を寄せている。
「そんな寂しいことを言わないでくれ。これから夫婦になるんだ。ラピスはもとより、俺は君のことも誰よりも大切に思っている」
そんなセオの言葉に、呼吸が止まったかのような心地がした。
「え?」
「え?」
驚きで目を見開くカティアを見て、セオもまた困惑している。
「あの……陛下?」
「セオでいいと言ったろう? 夫になるんだ。それにさっきからなんだその喋りは? 他人行儀ではないか? いつものように話しかけてくれ」
「え? そ、それは、これまでは陛下が身分を隠していらっしゃったから合わせていただけで。――え? 夫? 夫婦?」
とんでもない単語が飛び出してきて、完全に混乱してしまう。
「待ってください! えと。ラピスのことがあるからって、私までそんな」
「ラピスのためだけだと思っているのか? ――俺は、君がいいんだ」
真っ直ぐな声が、胸の奥深くに突き刺さった。心臓がうるさいほどに跳ねて、頬が熱くなる。
「でも! 陛下には、婚約している方がいらっしゃるんですよね!?」
「は?」
今度、目を丸くするのはセオの番だった。
「なにを言って」
「だって、アビゲイル様がそう仰って――」
「あの女」
一瞬にして、セオの表情が不穏に変化する。
しかしすぐに真剣な顔に戻り、カティアに向き直った。
「婚約はあの女と一部の貴族が勝手に言っているだけだ。そもそも、君という人がいるのに、どうして俺が他の人間と結婚せねばならない」
「でも」
「それにあの女は今は罪人だ。それ抜きでも考えたくはないがな」
罪人? と、疑問に思う余裕もない。
逃げ場がなかった。狭い馬車の中で、セオの深い瞳はカティアだけを映している。
「四年だ。四年間、ずっと君を探した。婚約者の打診を山ほど突っぱねて、大臣どもに呆れられながら、それでも君以外を隣に置く気にはなれなかった。そんな俺が今さらアビゲイル? 冗談はよしてくれ」
「そ、んな……」
「嘘だと思うなら、レスターにでも聞いてみろ。膨大な釣書の山を、あいつは全部頭に入れているぞ」
冗談めかした口調なのに、瞳の奥は少しも笑っていない。
どくん、どくん、と心臓がやかましい。
顔が熱くてたまらないのに、目が逸らせない。彼の言葉のひとつひとつが胸に染みて、じわじわと現実味を帯びてくる。
「君がいなければ意味がないんだ、カティア」