准教授 高野先生のこと
由貴ちゃんの歌はいつの間にか『砂の城』じゃなくなっていた。
私も先生もやっぱり黙ったまま。
私は先生のほうを見ることも出来ず、ただずっと、じっと歌を聞いていた。
沈黙を破ったのは――破ってくれたのは先生だった。
「この曲、『初戀(はつこい)』です」
いつもの先生らしい穏やかな口調。
「恋という字は難しいほうの戀(こい)なんです。なかなか趣きがありますね」
由貴ちゃんが切々と歌うその詞の中の女の子はまるで私だった。
先生には何故かいつも心の中を見透かされているような気がする。
先生と一緒だと、ほんの小さな喜びだって怖いくらい大きな幸福になってしまう。
先生にまっすぐ向かうこの気持ちは何?
先生へのこの溢れる思いは何?
“好き”って言葉じゃ何か少し言い足りなくて。
だけど――
“愛している”なんて言葉は何かとても難しすぎて。
初めて抱いたこの気持ちは、どんな言葉もぴたりと当てはまらない気がして……。
「詩織さん」
ハンドルを握る先生の横顔は、穏やかで優しかった。
「僕の初恋の話を聞いて下さいますか?」
先生の恋の話をきくなんてもちろん初めてのこと。
まして、私がせがんだわけでもないのに。
「聞かせて、いだたけますか?」
私は少し緊張しながらお願いした。