アリスズ

 テイタッドレック卿の図書室のことを、夫人は忘れないでいてくれたのだ。

 あれから一ヶ月は、軽く過ぎたというのに。

 自分の家に図書室がないことを、夫人が残念に呟いていたのを、梅は覚えている。

 なくてもいいのだと伝えたのだが、きっと心のどこかに残っていたのだろう。

「本…ですか? あるにはありますが…」

 男は、少し考え込んでいるようだった。

「何の本かしら…さあ、出してちょうだい」

 あると聞いただけで、夫人は小躍りしそうなほど声を上ずらせる。

「いえ…本を所望されるのは、テイタッドレック卿なので、そちらにお売りする分としてお持ちした分はありますが…」

 考え込みながら、男は箱の底を探る。

 彼は、行商人だ。

 この町が終わったら、卿の領地に行くつもりだったのだろう。

「女性が読んで楽しい本ではないと…思いますよ」

 考え込んだ理由は、それか。

 本なら何でもいいはずはないと、男は思っているのだろう。

 取り出されたのは、三冊の本。

 男は夫人に差し出そうとしたが、彼女は黙って梅を促した。

 わずかに戸惑った後、大きな手は梅にそれを差し出す。

 ああ。

 一番上の本のタイトルは、もうとっくに読んでいた。

『歩測量記録史』

 分厚いその本を、他の二冊を抱えたまま開くことは出来ない。

 梅は、迷うことなく膝を折った。

「ウ、ウメ」

 夫人が驚いているが、彼女は日本家屋でそうするように正座をして、膝の上に残りの二冊を乗せてから、一番上の本を開いたのだ。

 ち、ず。

 テイタッドレック卿の屋敷では、見つけることの出来なかった、測量地図の本である。

 ぱっと開いただけでは、どこの地図かは分からないが、めくってもめくっても、地図が描かれている。

 そして、一番最後のあたりに。

 それは。

 あった。

 この大陸の、全体の形が描かれている地図、が。
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