アリスズ

 ようやく門をくぐって、ほっとしていた時。

「あんた、そんな髪で神殿に行く気かい!?」

 さっき、様子を聞いたおばさんに、突然後ろから景子を呼び止められた。

「はい?」

 驚いて振り返ると、とんでもないと言わんばかりの顔をしているではないか。

「そっちの兄さんはいいだろうけど…あんたそれじゃあ、神官様にあきれられるよ」

 ちょっとおいで。

 兄さんと言われた菊が、盛大に苦笑している中、景子は道の端へと引っ張られた。

「何だい、このくにゃくにゃの髪は」

 そして、面と向かって髪をけなされるではないか。

 ガーン。

 景子の髪の天然パーマっぷりは、自分でも好きにはなれない。

 だが、他人に向かってはっきりそういう人は、日本にはいなかったのだ。

 少なくとも、建前上は。

 旅を続けて随分たつので、肩下ほどに伸びはしたが、相変わらずのくるんっぷりだった。

「そんな泣きそうな顔しなさんな…ちょいと油をつけて編んでしまえば分からないって…まあ、短いのはごまかしようはないがね」

 おばさんは、大げさに両手を広げながら、景子に笑いかける。

 悪意のかけらもない。

 ただ、腹の底から正直な人なのだろう。

「櫛を捧げる神殿だからね…見てごらん、女性の髪の美しいこと」

 巡礼者が通り過ぎてゆくのを、おばさんは顎で指した。

 右手に櫛、左手に油を取り出したせいである。

 そう言えば。

 景子は、女性の髪を見た。

 つややかな栗色の髪や黒髪に白い髪。

 いずれも、太陽の光を艶やかに反射している。

 垂らしている人は、よほど髪に自信があるのか、長く長く美しい。

 ほとんどの女性は結っていて、それでもなお艶は明らかだった。

「自信がないなら、せめて結っておくんだよ…こんな髪じゃ、お嫁にも行けないからね」

 そして、やはりおばさんは──悪意はなかった。

 男と間違われた菊は、その方が都合がいいと知らんぷりをしている。

 しかし景子は、髪と嫁とのダブルパンチをくらい、頭がずっしり重くなったのだった。

 この国では、31歳ってこと黙っててもいいかなあ、などと。

 往生際の悪いことを考えながら。
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