春夜姫
「姫は力を使いすぎてしまった。今は休むほかない。夏空よ、お前もくたびれたじゃろう。今宵は旅を離れ、お前も休むが良い」
寝所には、クロがちょうど丸くなっていられるような寝床もあり、クロは早速にそこに入っています。足を折り畳み、クロのご主人の家でそうしているように、安心しきった顔で眠ろうとしていました。
夏空は、おじいさんを見て首を横に振りました。
「いえ……父との約束の日が近づいています。僕だけでもあの森へ戻してください。進まなければ」
夏空は拳を固く握っています。
「それに、」
「だめじゃ」
おじいさんは険しい声で夏空の話を遮りました。
「おいで。あの森の今の様子を見せよう」
おじいさんは夏空を招き、姫とクロが眠る寝所を出ます。夏空は黙って付いていきました。
おじいさんが入った部屋には、いくつかの大きな鏡がありました。
「魔の森、お前さんたちがいたところは、今はこうじゃ」
おじいさんが手を振ると、一つの鏡が暗く光り、薄暗い森がそこに映りました。草木の様子を見るに、やはり先ほどまで春夜やクロと一緒にいた所です。
「何ですか、この黒いものは」
夏空は眉を顰めました。動物が斃れたあと、葬らずにそのままにしておくと、虫や鳥がその屍に群れます。そのような黒いもやがそこにありました。
「これが起こるので、わしはうかつにそちらに手を貸せなんだ。わしの力の残滓が、魔の森ではかえって闇に近いものを招いていしまう。そこに、魔に対して防ぐ術を持たぬお前を戻すことは出来ぬ。とても危険じゃ」
「では、どうすれば? 僕は戻りたい。国に帰りたいのです」
夏空の声に力が入ります。
「先ほど、僕の歌を歌う何者かを先頭に、黒い嵐が通りました。僕はその先頭の者の顔をはっきりと見たのです。あれは」
夏空は、胸の中にひどく冷たいものを抱えているような気持ちでした。
おじいさんは、眉を下げてひげを撫でます。
「あれは、僕の母上でした」
寝所には、クロがちょうど丸くなっていられるような寝床もあり、クロは早速にそこに入っています。足を折り畳み、クロのご主人の家でそうしているように、安心しきった顔で眠ろうとしていました。
夏空は、おじいさんを見て首を横に振りました。
「いえ……父との約束の日が近づいています。僕だけでもあの森へ戻してください。進まなければ」
夏空は拳を固く握っています。
「それに、」
「だめじゃ」
おじいさんは険しい声で夏空の話を遮りました。
「おいで。あの森の今の様子を見せよう」
おじいさんは夏空を招き、姫とクロが眠る寝所を出ます。夏空は黙って付いていきました。
おじいさんが入った部屋には、いくつかの大きな鏡がありました。
「魔の森、お前さんたちがいたところは、今はこうじゃ」
おじいさんが手を振ると、一つの鏡が暗く光り、薄暗い森がそこに映りました。草木の様子を見るに、やはり先ほどまで春夜やクロと一緒にいた所です。
「何ですか、この黒いものは」
夏空は眉を顰めました。動物が斃れたあと、葬らずにそのままにしておくと、虫や鳥がその屍に群れます。そのような黒いもやがそこにありました。
「これが起こるので、わしはうかつにそちらに手を貸せなんだ。わしの力の残滓が、魔の森ではかえって闇に近いものを招いていしまう。そこに、魔に対して防ぐ術を持たぬお前を戻すことは出来ぬ。とても危険じゃ」
「では、どうすれば? 僕は戻りたい。国に帰りたいのです」
夏空の声に力が入ります。
「先ほど、僕の歌を歌う何者かを先頭に、黒い嵐が通りました。僕はその先頭の者の顔をはっきりと見たのです。あれは」
夏空は、胸の中にひどく冷たいものを抱えているような気持ちでした。
おじいさんは、眉を下げてひげを撫でます。
「あれは、僕の母上でした」