揺らぐ幻影
ありがとうが欲しかった。
美味しいか美味しくないかなんて要らない。
好きな人はちっともこっちを見てくれない。
違う子がもぐもぐ平らげる様子を眺めている。
今、泣けば構ってちゃん。
悲劇のヒロインになりたいだけの自己愛女だと把握している結衣は瞳を潤ませてはならない。
、頑張れないよ
涙を飲み込み、彼女は笑って廊下へ飛び出した。
一直線に伸びる道、先で待つのは誰?
消火器の赤だけが妙に浮いている。
徐々にぼやける視界は、好きな人が居ない世界。
「言えば? 睡眠不足にはバナナが良いって、豆乳も。それ食べたら元気になるって。職場の人に教えてもらった、違う?」
お喋りが背中に乗っかった。
振り向けば、いつだって別の人。
茶色の髪が似合わない男の子。
「…………は、?」
「夜更かししてるの気になってるの、違う?」
「なに、が」
「受験勉強? 姉ちゃん昔作ってた。まずかった」
繋がった会話に決まりが悪くなる。
近藤にあげたかったマフィンは睡眠不足解消とかいう信憑性は謎のバナナと豆乳入りで、
そこは気付いても触れないでほしかった。
だって、食べたのは静香だ。
とぼけたまま結衣は曖昧に微笑まなければ泣いてしまいそうだった。
いつもは助言してくれない癖に、どういう訳か市井が「洋平より田上さんが悪い」と告げるのはあんまりだ。
もう弱りきった心臓が脈を荒げ、悲鳴をあげる。
「自覚がないから」
二人が不穏になった原因を結衣だって察しているはずだと彼は失笑する。
そんなの結衣だって分かっているし、結衣だって自覚している、だから悲しいのだ。
嫌われている、と。
だって、近藤は結衣に全然笑ってくれない。
泣きたかった。
でも泣けなかった。
プライドが許さない。見栄がある。
「うわー田上さんが泣いた!!」
大声がどうして鳴り響くのか。
「泣き止んでよ、俺がいじめたみたいじゃん」
慌てた様子の市井の目的が読めない。
なぜなら結衣は泣いていない。
「イッチー何したの?!」
数秒経たない内にF組の窓が開き、ひょっこり静香が顔を出した。