はぐれ雲。
「発見時は雨でしたし、なかなか目撃者を探すのは難しいでしょうね」

達也も汗をぬぐいながら桜井に言った。

「おまえらしくないなぁ」

「え?」

「えらい弱気やないか。おまえの口から、難しいっちゅう言葉を聞くとは思わへんかったわ」

「…すみません」

「辛いのはわかるんやけどな」

桜井は茶色い川の流れに目をやった。

続いた雨のせいで濁り、水かさが増している。

「でも、ちゃんと向き合わんと乗り越えられるもんも、乗り越えられへんで」

「桜井さん…」

「自分の亡くした子と重ね合わせてまうんやろ?それやったらそれで、ビビらんと真正面からぶつからなあかんのとちゃうか」

達也はうつむいた。
桜井の言うことが正しいとわかっていたから。

あのまま博子の妊娠が順調に継続できていたならば、今頃はこの手に我が子を抱いていたはずだ。そう、遺体で見つかった赤ん坊と同じくらいの。

「すみません、私情をはさんでしまって」

「はさんでもええんや。ええけど、捜査に穴を開けたらあかん。死んだ赤ん坊かて、うかばれへんやろ」

桜井はそう言うと達也の肩を軽く叩き、「ほな、次行くで」と歩き出す。

辺りは草いきれがむっと立ち込めていた。



夜、リビングのソファーで風呂上りの達也はビールを飲み、博子は夕食の後片付けをしている。

テレビの横にある木のアヒルのおもちゃが、こちらを見ていた。
どことなく愛らしく笑っているように見える。


『まだ早いわよ、達也さん。生まれるのは6月よ。男の子か女の子かすらわかってないのに』
呆れたように博子は笑う。

『いいんだよ、あっという間だって。な?』
そう言って達也は博子のお腹にそっと触れた。

『親バカね』
そう言いながらも彼女はそのおもちゃを、一番目に付くテレビの横に飾った。

『楽しみね、赤ちゃん』
幸せそうなその笑顔が忘れられない。


そのおもちゃは埃をかぶることなく、今でもきれいなままだ。

博子がいつも手入れしているのだろう。

どんな気持ちで?

たまらず、達也は一気にビールを飲み干した。




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