はぐれ雲。
「…新明さん。できることならもう一度あなたと、剣道という場で闘いたいものです」
背を向け歩き出した亮二に、達也はそう言った。
彼が立ち止まり空を見上げると、白い息が宙を舞う。
「勝負は、もう決まっていますよ。
あんたは誰もが認める正義の肩書きを持ってる。逆に俺は、悪そのものだ。人に言えないことも散々やってきた。そんな男に、勝利の女神が微笑むわけない」
同時に、二人の男の頭の中に、ある一人の女の笑顔が浮かんだ。
「…そうでしょうか。ある女が怒って言うんです。悪は悪でしかないって主張する僕に、悪の中にも悪なりの正義があるんだって。
何も知らないのに、決め付けるのはやめてくれって…それはもうすごい剣幕で」
亮二はおかしそうに笑った。
まるで「あいつらしい」と言うかのように。
「その人に伝えてください。
俺たちの正義ってもんは、そんなにかっこいいもんじゃないって。振りかざす場所や人によっては、凶器にもなるもんだって」
「……」
「加瀬さん」
亮二は達也に向き直ると、ゆっくりと、そして深く深く頭を下げた。
何かを詫びるかのように、長い間ずっと。
やっと頭をあげたかと思うと、缶コーヒーを持ち上げ、「これ、いただきます」と言い残して去っていった。
達也はもう一度ベンチに座った。
普段は星が都会の明るさに消されてあまり見えないのに、今日はやけにきれいに見える。
不思議だ。
あれほど、新明亮二に嫉妬していたはずなのに、彼があの時の対戦相手だと気付いたときから、その気持ちが嘘のように消えていた。
まるで雲が晴れるように、消えていた。
彼の真っ直ぐな剣道が、彼の人柄を表しているように思えて仕方なかったから。
そして、今日…
彼が自分と同じように
心から博子を愛している、と
ずっと愛し続けていたのだ、と
そう知ってしまったから。
「なぁ、新明。お互いこんな立場じゃなかったら、俺たち案外いい友達になれてたかもしれないな…」
そう呟いて、達也は静かに瞳を閉じる。