はぐれ雲。
見覚えのある場所までくると、彼女は立ち止まり辺りを見回した。
ここは、達也のプロポーズを受けたところ。
そして視線を落とせば、亮二との恋が始まったあのベンチ。
電車の鉄橋を渡る音が聞こえる。
博子は空を見上げて自分に問い掛けた。
「加瀬達也を、愛してる?」
羽衣のような柔らかい薄い雲が、空の半分を覆っている。
それは二人で過ごした部屋のレースのカーテンを思い出させた。
「彼を、愛してる」
目を閉じてそう呟いた。
正直な気持ちだ。
そして、もう一度自らに問う。
「新明亮二を、愛してる?」と。
唇が動く。
「愛して…」
言葉が詰まって、言えなかった。
なぜか言ってはいけない気がした。
胸が苦しくて苦しくて仕方がない。
やっとの思いで、息をつく。
愛してる、それは間違いないのに、その言葉を口にすることが憚られる。
愛してはいけない人を愛してしまった。
いや、違う。
今に始まったことじゃない。
ずっと、ずっと愛していたのに、その愛が迷子になっていただけ。
なのに、やっと行き先を見つけても、
そこは脆くて、危険で、罪な場所…。
涙ぐみ、下唇を痺れるほど噛むと、彼女はまたゆっくりと歩き出した。