はぐれ雲。
義母の話はこうだった。

夕方に実家に行くからと言っていたのに、いつまでたっても来る気配がない。何度も電話をかけたが、出ない。

心配になって官舎の部屋に行ってみたら、鍵は開いたまま博子の姿はなかった。

コーヒーがこぼれて、テレビが付けっぱなしだったという。

達也は、博子が事件を知ったのだと確信した。


彼は咄嗟にある場所を思い出した。

タクシーの運転手に行き場所を告げる。

<間に合ってくれ!>


辺りはすでに暗くなっていた。
昼間はだいぶん暖かくなっていたが、夜はまだ肌寒い。

博子は河原のテニスコート脇のベンチを眺めていた。

そっと、あの人が座っていた場所に手を触れてみる。

ここに、彼がいた。
そして自分がいた。
あの不機嫌そうな顔から、ポロリとこぼれる笑顔が、時折見せる優しい眼差しが、消えてしまったのだ。

信じたくなかった。

不思議と、まだ涙は出ない。

<もう、永遠に会えない…>

冷たい草の上に、崩れ落ちるように博子は座り込んだ。


昼過ぎのあのニュースを見て、不安を覚え、そしてかかってきた直人からの電話で、絶望した。

何も考えずに家を出た。
行き先なんてなかった。

ただ、またこうやって歩いていたら、彼とぶつかるかもしれない。

そう、あの日のように。

あてもなく歩く。


「きれいね」

そんな声が辺りにあふれかえっていた。

気が付けば、桜並木の続く通りに足を踏み入れていた。

「…桜?」

花びらが、博子の肩に季節はずれの雪のように降り注ぐ。


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