飛べない黒猫
2階にむかう青田の後ろ姿は、大きな会社を経営する社長でも、数多くの著名人と交友を持つ有力者でも無く、至極一般的な普通の父親そのものだった。

父親か。
蓮には想像がつかない存在…。



忙しそうにキッチンとダイニングの間を往復していた和野が、盆に飲み物を用意して運んで来た。


「旦那様がいらっしゃるまで、食前酒はいかがでしょうか?
紀州から取り寄せた梅を漬けて作りましたの。
ちょうど飲み頃、美味しくできましたので…さあ、どうぞ」


勧められるがまま、蓮はソファーに座り食前酒用の小さなグラスを受け取る。

暖かい部屋と、初対面での緊張で喉が渇いていたらしい。
冷たくひえた梅酒は口当たりが良く、優しい甘みが心を和ませた。


「美味しいわぁ。」


洋子の幸せそうな顔を見て、和野は納得したように頷き微笑んだ。


「この梅酒お嬢様と漬けましたの…
毎年手伝ってくれるのよ。」


にこやかだった和野の表情がみるみる歪む。


「いい子なんです、本当に。
だからもう、お可哀想で…
どうかお願いします、お嬢様に優しいお心使いを…
お願い致します。」


和野は頭を下げたままじっとしていた。
母は彼女の肩にそっと手を置き優しく起こした。


「えぇ…わかってるわ。」

洋子の神妙な顔。



【ワケあり】なのは、俺だけではなさそうだ。
だとしても俺には関係ない事だ。

母親の恋路を邪魔するつもりはない。
が、積極的に応援するつもりもない。

2人の問題だ、2人で解決するだろう。



冷たい食前酒を飲み干すと同時に、カチリとドアが開く。
青田が入って来くると、和野はスッとキッチンへ消えた。
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