空しか、見えない
 ついさっきまで、この部屋にはフランス語を話す彼がいた。けれど、彼は慌てて帰っていった。一緒に朝のバゲットを食べていく時間も、カフェオレを飲む時間もないようで、ストライプのシャツに体を滑らせるように、素早く着替えた。

「ボンジュール、マリカ、せっかくのオフなんだから、君はもっと寝ていたらいいよ」

 そう言って、ベッドの中で目を開いた彼女の額に柔らかな唇をあて、キスの音をさせ、出て行った。
 玄関の外では、鼻歌混じりだった。ラテン系の男たちは、そうやってどこかお気楽なのだ。
 同じ航空会社に勤務する、3歳年上のパーサーだ。これから慌てて仕事に出ていくわけではなく、彼には帰っていく場所がある。窓から見える家族と同じように、ふたりの子どもたちがいると聞いている。
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