愛を教えて

(5)離れた手

浴室の鏡は白く曇っている。

それは見事に万里子の心を映していた。

熱いシャワーが万里子の身体を伝い、浴室のタイルの上に滑り落ちる。タイルに熱を奪われ、少しぬるくなったお湯は排水溝に向かって川を作った。その中には、万里子の涙も混じっていた。


万里子は四年前と同じように、自分の身体からすべてを洗い流そうとした。

今夜、卓巳に触れられた場所だけでなく。何度となく重ね合った唇も、熱い指先で触れられた肌のあちこちも。愛し合った幾夜の思い出まで、何もかも消し去りたかった。


“愛”ではなかった。


“愛”は初めからどこにもなかった。


卓巳には妻が必要だった。それも、彼のプライドを傷つけず、言いなりになる女が。

ひょっとしたら、最初からすべてを知っていたのかもしれない。

だから万里子を選んだ。

卓巳が好きなようにベッドの上で弄び、それでいて、セックスをしなくて済む相手。


普通の結婚ができない万里子なら、ほんの少し優しさを見せるだけで卓巳に夢中になるだろう、と。

案の定、万里子はすぐに卓巳を愛した。


それは万里子にとって、堪らなく惨めな現実だった。


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