愛を教えて
「いや……お願い。もう、許して」


その瞬間“何か”が唇に触れた。

万里子はとっさに、ライカーにされた口づけを思い出す。シッティングルームでされたキスだけじゃない。ベッドの上でも……その都度、鳥肌が立つほど気持ち悪かった。

初めは卓巳のことを考えようとした。

卓巳に愛されたことを思い出すだけで、万里子の身体は蕩けそうになる。そのまま、自分に触れる指が卓巳のものだと思い込めばいい。

そうすれば楽になれる――なのに、万里子の肌は違和感を唱え始める。これは卓巳ではない、と。

しだいに万里子は自らの心を凍らして行った。かつての卓巳がそうであったように。未来は閉ざされた、ならば、幸福な過去に閉じこもればよい。

きつく目を閉じ、歯を食い縛り、鍵をかけた万里子の唇から“何か”は離れようとしない。

唇の上をなぞる柔らかな感触、甘やかで情熱的な香り――それらは、万里子が心の奥に閉じ込めた幸福を呼び覚ます。


「万里子、愛してるよ。君を愛している。戻って来るんだ。僕はここにいる」

「卓巳さん。戻りたい……でもダメなの。あなたに何も与えられない。この身体じゃ……何度あなたを受け入れても綺麗にはなれないから。乗り越えよう、いつか忘れられると思ったけれど……」


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