愛を教えて
「シッ」卓巳は口元に指を一本立てて見せた。

そして親指で目前のドアを指し示す。その直後、女性が昇り詰めるときの切なげな声が辺りに響き渡る。それは卓巳たち以上に、大人のセックスを楽しんでいるに違いない声だ。

万里子は口をパクパク開け、眼球を忙しなく動かした。

卓巳はそんな万里子の表情に苦笑いを浮かべつつ、彼女の肩を抱き、ウォッシュルームの前から離れた。



「卓巳さん! あの、あれってジェイク?」

「ああ、そうだろうな。勤務中にとんでもない奴だ。と、言いたいところだが……どうやら、火を点けたのは僕たちらしい」


寝室から追い出したあと、卓巳が乱暴な真似をするのではないか、とドアの外で聞き耳を立てていたのだろう。

夫婦の営みが始まったときは、さぞかし驚いたに違いない。ジェイクの困惑ぶりを想像して、卓巳は笑いながら前髪を掻き上げる。


「でも相手の女性って? 卓巳さんもご存じの方なんですか?」

「多分、ソフィだろう。このホテルの託児室でベビーシッターをしている女性だ」

「ジェイクの恋人なの?」

「いや……違うと思うが。彼女には君の付き添いを頼んでいた。この三日間、ずっと君のそばにいたんだが。覚えてないかい?」

「ご、ごめんなさい。日本語を話す誰かがいてくれたことは……あの、卓巳さん。ここってどこですか?」


質問されて始めて、卓巳は万里子にここの名前を教えていないことに気がついた。


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