女神は不機嫌に笑う~小川まり奮闘記①~

 
 その時、綺麗な顔を不機嫌そうに歪ませていた斎が、するりと表情を変えた。

 え? 驚いた私は呆気に取られる。

 ヤツは二重の綺麗な目元を柔らかく細めて、美しい笑みを浮かべる。白い歯をみせて、ふんわりと色気のある、極上の微笑みだ。

 通りすがる女性達が思わず振り返るような、斎独特のすばらしい笑顔。

「まり」

 あの美声が鼓膜を揺らした。

 そして一歩近づき、手を伸ばして棚をつかみ、呆然と固まる私をスチール棚の間に閉じ込める。

 綺麗な顔を、吐息が頬にかかるくらいまで近づけ、私を見詰めながら言った。


「俺を、忘れられないんだろう、まり」


 美声が耳をくすぐる。

 名前を呼ばれるだけで理性が吹っ飛んだものだった。この瞳に見詰められるだけで、頭の中もとろけたものだった。


 ―――――――――以前は。


 呆然としていた霧のような意識世界から、現実に戻れたのを感じた。

 私は視線を反らさずに真っ直ぐに斎を見返す。

 もうこの瞳にも声にも負けないと、病院の天井に誓ったのだ。


< 44 / 274 >

この作品をシェア

pagetop