漆黒の黒般若
「そんなある日、中村屋に彼が来たの


団体客としてだけど…

あたしは何人かの遊女の一人として客についたんだけど、始めて彼をみた感想は驚きだったわ


白く華奢な手にお猪口をもってにこにこ笑っていて


そんな彼の顔はそこら辺の遊女より綺麗だったわ


多分、今思うとあたしの一目惚れだったのかしらね


でもあたしはその頃脱け殻のようでただ笑って相槌を打っているだけの女だった

でも男達は抱きにくるだけのもの


そんなことに構ったりなんてしていなかったわ


でもあの人は違ったのよ…

他の遊女達が男と部屋に行き始めてあたしも仕事をしようと彼を床へと誘ったの


もちろん長年使ってきた手練手管を使ってね


自慢じゃないけど今までこの手に落ちなかった男はいないくらいだったし彼もすぐついてくると思ったんだけど

彼ったらあたしの腕を引っ張って止めるのよ



信じられないでしょ?って、楠葉ちゃんにはわからないわよね…


でも、遊廓に遊びにくる男は皆、女を抱きに来ているの


だからそんな目的を果たさない人を見たのは始めてだったわ


彼は自分を愛しそうに見つめるあたしの視線に気がついているのかいないのか
政のことや、新撰組のことを楽しそうに話していたわ


まるであたしに興味がないみたいにね


それでも惚れてしまったんだよ


こんな事だけで惚れてしまうなんてあたしも軽い女だわ


そしていつもは長く感じる時間がとても短く感じて…、彼は帰っていった


また会いたい
また話したい


今まで一緒にいたのにそれは禁断症状みたいに彼がほしくてたまらなくなった」


明里さん、いやお信さんの話は色恋にうといあたしには少しわからないところもある



でも、あたしも恋をしたらこんなに人を愛しく思ったり、思い人を思って作るこんな顔をするのだろうか


愛や恋なんて今まで興味がなかった楠葉もお信の話を聞いて少し羨ましく思った


< 334 / 393 >

この作品をシェア

pagetop