惑溺
「怒っちゃった?
松田さーん。怒っちゃった?」
矢野くんの猫なで声を完全に無視しながら無言で壁を睨み続けると、背後から沙織の楽しそうな声とリョウの相槌が聞こえてきた。
何を話してるかまでは聞き取れないけど、会社で話す時よりも少し上擦った、可愛い沙織の声。
私に話しかける意地悪な口調とはまったく違う、優しいリョウの声。
久しぶりに飲んだアルコールのせいか
仕事と飲み会で疲れ切った神経のせいか
泣きたくもないのに勝手に涙腺がゆるんできて、涙が溢れそうになる。
カラン、
手の中のグラスの氷がゆっくりと溶けて崩れる音を聞きながら、奥歯を噛んで鼻をすすった。