惑溺
 
「ねぇねぇ、松田さんってば!」


腕時計をしている手首を揺するように掴まれて顔を上げると、つまらなそうに唇を尖らせた矢野くんの顔。


「ごめん、ぼんやりしてた。何?」

「もう、酔っぱらっちゃったんすか?
口紅、いつもと違う色だよねって話!
松田さんいっつもベージュ系のだから、今日雰囲気違うね」

「ああ……」


頷きながら、人差し指で自分の唇に触れた。


「3次会の時かな、化粧直ししてあげるって沙織に塗られたの」

明るいピンクの口紅に、透明感のある赤いグロス。
いつもより華やかな色合いの自分の唇がなんだか恥ずかしくて、さりげなく手で口元を隠した。


すごいな、矢野くんは。
こんな細かいところまで気づくんだ。


リョウなんて、私のメイクや髪形の変化なんて気づいてくれた事、一度もないのに。

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