弟矢 ―四神剣伝説―
「大丈夫か? 怪我はないか?」


そこは、乙矢がよく薪を割っていた場所だ。今は使えないと言われる井戸も、すぐ側にある。正三はおきみを下ろすと薪小屋にもたれかかり、一息吐いた。


「あ……あ」


おきみは礼を言おう口を開くが、乙矢の名前以外は声にならない。

正三もそれがわかるので、優しくおきみの髪を撫で、惚れた女に囁くような声で言った。


「心配はいらぬ。間もなく乙矢が戻って来る。風が変わった。結界が消えたのがその証だ」
 

正三は、里に圧し掛かった悪意が、薄れているのを感じていた。

どうやら、この風が押し流してくれたようだ。里人はどこかに隠れたか、慌てて里を逃げ出したかのどちらかだろう。

気にはなるが……おきみも里人も、全員を守るのは到底無理だ。ならば乙矢のため、ひいては、弓月のためにも、正三はおきみを守ることを選んだ。

 
何か言いたげに、口を動かすおきみに、


「私の名は、織田正三郎だ。――しょうざ、と呼ばれている。わかるか?」

「し……しょう、ざ?」


おきみに名を呼ばれ、正三の胸にこそばゆい感覚が走る。しかし、それを長く味わうことは、土台、無理な状況だった。


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