キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
ほほえんでいた美女の顔がにわかに険しくなる。
横をすり抜けて渡り廊下を通ろうとしたラグナードを、脇のかがり火に照らされた赤茶の瞳がキッとにらんで、
「ちょっと!」
ルージュのひかれたまことにうるわしい唇から、
「兄上なんて呼ぶんじゃないっつってんでしょうが! いやな子ね!」
ハスキーな美女の声というよりは、ドスのきいた男の声が飛び出した。
キリはかぱっと口を開けた。
「失礼しました『スペッサルティン宰相閣下』」
ラグナードが足を止めて、
死んだ魚のようなうつろな目を女に固定したまま、棒読みの芝居のセリフの口調で言い直した。
「もう、ラグってば」
とたんに目の前の「美女」はにこにこと破顔して、ハスキーな女の声にもどる。
「そんな他人行儀な呼びかたもやめてっていってるでしょ」
「では『姉上』とでもお呼びしろと?」
「ユシーって呼んで♪」
「ユスターシュ兄上」
「兄上って呼ぶなっつってんだろうが! その名前で呼ぶのもやめな!」
低い男の声で美女ががなり立てた。
ひえっと、ラグナードの後ろでキリは首をひっこめた。
「だまれ! 正真正銘ユスターシュがあんたの名前だ、このど変態が!」
ついにラグナードも向き直って語気をあらげた。
「ユスターシュ」という美女の名前をキリは口の中で反芻(はんすう)する。
完全に男の名前だった。
「失礼ね! 誰が変態よ!」
「うるさい! 用がないならとっとと失せろ!」
にらみ合う二人の横から、キリはおそるおそるその見目うるわしい女性を指さした。
「ええと……お兄さん? お姉さんじゃなくて?」
はああ、とラグナードが重たいため息をはきだした。
「そうだ」
彼は心底いやそうに、
どこからどう見ても女にしか見えない色っぽい宰相閣下を目で示して、
「さっき話していた──上の兄上だ」
と言った。
「兄って言うんじゃないわよ!」
宰相がきれいな眉をつり上げた。
「兄だろうがッ」
「え? え? でも、スペッサルティン宰相閣下っていうのは?」
キリは混乱しながら、ラグナードがこの宰相に呼びかけていた名前と、
ラグナードとキリが出会ったときに、彼が名乗っていた名前とを比べた。
「家名だ」と、ラグナードが答える。
しかし彼は「ラグナード・フォティア・アントラクス」と名乗っていた。
これが王族としてのフルネームなのだろうが、
スペッサルティンという家名の響きはどこにもふくまれていない。
「『今の』な」
ラグナードはそうつけ加えて説明した。
「皇太子の話を断った時点で臣下になると言っただろう。
スペッサルティン家は大公家だ。こいつはその当主となって、宰相の仕事をしている」
こいつ呼ばわりだったが、宰相閣下はにこにこしている。
「こいつ」は許せるのに、「兄」と呼ばれるのはがまんならないらしい。
「こいつはな、臣下と国民の間で、こんなやつが国王になるなら祖国を捨てるランキング一位になって皇太子を辞退したんだ」
と、ラグナードはその「兄上」に冷ややかな視線を向けたまま言った。
横をすり抜けて渡り廊下を通ろうとしたラグナードを、脇のかがり火に照らされた赤茶の瞳がキッとにらんで、
「ちょっと!」
ルージュのひかれたまことにうるわしい唇から、
「兄上なんて呼ぶんじゃないっつってんでしょうが! いやな子ね!」
ハスキーな美女の声というよりは、ドスのきいた男の声が飛び出した。
キリはかぱっと口を開けた。
「失礼しました『スペッサルティン宰相閣下』」
ラグナードが足を止めて、
死んだ魚のようなうつろな目を女に固定したまま、棒読みの芝居のセリフの口調で言い直した。
「もう、ラグってば」
とたんに目の前の「美女」はにこにこと破顔して、ハスキーな女の声にもどる。
「そんな他人行儀な呼びかたもやめてっていってるでしょ」
「では『姉上』とでもお呼びしろと?」
「ユシーって呼んで♪」
「ユスターシュ兄上」
「兄上って呼ぶなっつってんだろうが! その名前で呼ぶのもやめな!」
低い男の声で美女ががなり立てた。
ひえっと、ラグナードの後ろでキリは首をひっこめた。
「だまれ! 正真正銘ユスターシュがあんたの名前だ、このど変態が!」
ついにラグナードも向き直って語気をあらげた。
「ユスターシュ」という美女の名前をキリは口の中で反芻(はんすう)する。
完全に男の名前だった。
「失礼ね! 誰が変態よ!」
「うるさい! 用がないならとっとと失せろ!」
にらみ合う二人の横から、キリはおそるおそるその見目うるわしい女性を指さした。
「ええと……お兄さん? お姉さんじゃなくて?」
はああ、とラグナードが重たいため息をはきだした。
「そうだ」
彼は心底いやそうに、
どこからどう見ても女にしか見えない色っぽい宰相閣下を目で示して、
「さっき話していた──上の兄上だ」
と言った。
「兄って言うんじゃないわよ!」
宰相がきれいな眉をつり上げた。
「兄だろうがッ」
「え? え? でも、スペッサルティン宰相閣下っていうのは?」
キリは混乱しながら、ラグナードがこの宰相に呼びかけていた名前と、
ラグナードとキリが出会ったときに、彼が名乗っていた名前とを比べた。
「家名だ」と、ラグナードが答える。
しかし彼は「ラグナード・フォティア・アントラクス」と名乗っていた。
これが王族としてのフルネームなのだろうが、
スペッサルティンという家名の響きはどこにもふくまれていない。
「『今の』な」
ラグナードはそうつけ加えて説明した。
「皇太子の話を断った時点で臣下になると言っただろう。
スペッサルティン家は大公家だ。こいつはその当主となって、宰相の仕事をしている」
こいつ呼ばわりだったが、宰相閣下はにこにこしている。
「こいつ」は許せるのに、「兄」と呼ばれるのはがまんならないらしい。
「こいつはな、臣下と国民の間で、こんなやつが国王になるなら祖国を捨てるランキング一位になって皇太子を辞退したんだ」
と、ラグナードはその「兄上」に冷ややかな視線を向けたまま言った。