キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
キリの言葉には何も答えずにしばらく歩を進めて、
「とにかく、あの変態には近づくんじゃないぞ、キリ」
と、ラグナードは彼女に言い聞かせるようにして口を開いた。
「あいつは女と見れば、貴族の娘から召し使いまで手を出す女好きだ。
それも薬で眠らせて拉致(らち)してきたりして、ムリヤリな」
「そうなの?」
キリは目を丸くした。
「あいつの場合は女好きと男嫌いが高じて、自分も女装するようになったんだ」
げんなりした口調で、ラグナードは女の姿をした兄について説明した。
「見た目はああだが、中身は女にしか興味のないれっきとした男だからな」
言われて、キリはユスターシュに抱きしめられた感覚を思い浮かべてみたが、
女の人に抱きつかれているような印象しかなかった。
「油断するなよ」
彼自身も身をもって知った、男に対するキリの無防備さがよみがえって、ラグナードは念を押した。
もっとも、この小さな魔女に下手に手を出そうとすれば痛い目にあうのは男のほうだが。
キリが一筋縄ではゆかない女だということもまた、ラグナード自身が身をもって知っている。
しかし、あの兄の手にかかっては、魔女もひとたまりもない気もした。
「あいつは変態でバカでアホな男だが、頭はきれる」
「バカでアホなのに頭がいいの?」
「そうだ」
不思議そうな顔をする無垢な少女を横目で見下ろして、
「でなければ、いくら国王の弟でも一国の宰相はつとまらない」
と、ラグナードはため息をはいた。
実際に、国王の補佐役としてのユスターシュの手腕は確かなものなのだ。
あんな妙な趣味でさえなければ、優秀な兄なのにと何度思ったことか。
「まあ、国民や臣下の信頼が得られなかったことや年齢もあるが……兄上が皇太子を辞退したのは、陛下のこれまでにない政治的方針に賛同して補佐に専念することを自ら望んだためだそうだ」
「これまでにない方針?」
「陛下は、王位を継いですぐに、身分に関係なく優秀な人間は平民でもとりたてるという方針を打ち立てたんだ」
キリは驚いて、あの厳格そうな格好いい女王を脳裏に描いた。
「陛下は身分にこだわらない、実力優先主義でな」
そういう考え方をする王族はとてもまれだが、
あの王様なら、たしかに実力のある優秀な人間は分けへだてなくとりたててくれそうだった。
「これまでのガルナティスの歴史では先例のないことだが、陛下の代になってからの今の家臣たちの中には、平民出の者も多くいる。
もっとも、身分を重んじる貴族連中には、陛下の政策に反発して立場を守ろうとする者も多い」
キリにもそれが普通に思えた。
平民で出世する者など、昔から本当に一握りである。
そもそもどこの国でも王族は、昔から長く国に仕えてくれた忠誠心ある貴族の家柄を大事にするものだから、急に庶民をたくさん取り立てたりしたら──
──それは、とても理に適った画期的な政策だとは思えるけれども──
ずっと王家を守ってきた貴族たちにしてみれば、裏切られた心持ちがするのではなかろうか。
何代も仕えてきた家と違って、本当に忠誠心を持っているのかわからない新参者など、信用ならないと考える者もいるだろう。
反発するのも道理と言えた。
「覚えておけ」と、ラグナードは二人の魔法使いをふり返って、やや目つきをするどくして言った。
「この国は今、
陛下の政策に賛同する者と、
反発する保守派の貴族連中たちと、
大きく二つの派閥に分かれている」
「それで、ラグナードの美人のお兄さんは王様に賛同して補佐してる立場なんだね?」
キリは少し考えこんだ。
「それがどうかしたか?」
「いや、べつに……」
キリは眉をよせる。
あの宰相が一瞬、キリとジークフリートに向けてきた見下しきった視線。
キリにはとても、あれが平民と分けへだてなく接する公平な王様の目と同じとは思えなかったのだが……
「ラグナードは?」
と、キリはたずねた。
「王様の跡を継ぐために皇太子になるんでしょ? ラグナードは、どっちの立場なの?」
「陛下のお考えに賛同してるからこそ、下々の言語を学んだに決まっている」
兄とまったく同じ目をして、王子様はそう言った。
「下々って……それでもお姉さんに賛同してるの!?」
初対面でのキリに対する偉そうなラグナードの態度は、
同じく初めて会ったキリに対等に接してきたイルムガンドルとは、どう思い起こしてもあまりに違っていた。
「めちゃくちゃ庶民を見下してるじゃん。
本心では反対派の派閥に入りたいんじゃないの?」
「何を言っている? 見下してなどいないぞ」
ラグナードは、ばかばかしいというように鼻を鳴らした。
「そのように見えるなら、それはおまえの卑屈にねじ曲がった下々の心が生み出すヒガミというものだな。
まったく、これだから庶民というものは……。
俺は本心から陛下の政策に賛同し、下々の者にも寛大な心で接して、常に民草の声を聞いてやり、政治にも参加させてやろうと思っている」
胸を張って尊大に言いきったラグナードを見て、キリはしばらく言葉を失った。
「えーと……すごい上から目線だね」
これでも本人は見下してはいないつもりらしい。
しかも実際に王都では民に人気があるようだから、たちが悪い。
王様だけが変わっていて、王族とは本来こういうものなのだろう。
やっぱりあの宰相とは、よく似た兄弟のような気がしつつ、
「『お兄さん』の首にもあるのを見たよ、その印」
と、キリはラグナードのほっぺたを指さした。
「とにかく、あの変態には近づくんじゃないぞ、キリ」
と、ラグナードは彼女に言い聞かせるようにして口を開いた。
「あいつは女と見れば、貴族の娘から召し使いまで手を出す女好きだ。
それも薬で眠らせて拉致(らち)してきたりして、ムリヤリな」
「そうなの?」
キリは目を丸くした。
「あいつの場合は女好きと男嫌いが高じて、自分も女装するようになったんだ」
げんなりした口調で、ラグナードは女の姿をした兄について説明した。
「見た目はああだが、中身は女にしか興味のないれっきとした男だからな」
言われて、キリはユスターシュに抱きしめられた感覚を思い浮かべてみたが、
女の人に抱きつかれているような印象しかなかった。
「油断するなよ」
彼自身も身をもって知った、男に対するキリの無防備さがよみがえって、ラグナードは念を押した。
もっとも、この小さな魔女に下手に手を出そうとすれば痛い目にあうのは男のほうだが。
キリが一筋縄ではゆかない女だということもまた、ラグナード自身が身をもって知っている。
しかし、あの兄の手にかかっては、魔女もひとたまりもない気もした。
「あいつは変態でバカでアホな男だが、頭はきれる」
「バカでアホなのに頭がいいの?」
「そうだ」
不思議そうな顔をする無垢な少女を横目で見下ろして、
「でなければ、いくら国王の弟でも一国の宰相はつとまらない」
と、ラグナードはため息をはいた。
実際に、国王の補佐役としてのユスターシュの手腕は確かなものなのだ。
あんな妙な趣味でさえなければ、優秀な兄なのにと何度思ったことか。
「まあ、国民や臣下の信頼が得られなかったことや年齢もあるが……兄上が皇太子を辞退したのは、陛下のこれまでにない政治的方針に賛同して補佐に専念することを自ら望んだためだそうだ」
「これまでにない方針?」
「陛下は、王位を継いですぐに、身分に関係なく優秀な人間は平民でもとりたてるという方針を打ち立てたんだ」
キリは驚いて、あの厳格そうな格好いい女王を脳裏に描いた。
「陛下は身分にこだわらない、実力優先主義でな」
そういう考え方をする王族はとてもまれだが、
あの王様なら、たしかに実力のある優秀な人間は分けへだてなくとりたててくれそうだった。
「これまでのガルナティスの歴史では先例のないことだが、陛下の代になってからの今の家臣たちの中には、平民出の者も多くいる。
もっとも、身分を重んじる貴族連中には、陛下の政策に反発して立場を守ろうとする者も多い」
キリにもそれが普通に思えた。
平民で出世する者など、昔から本当に一握りである。
そもそもどこの国でも王族は、昔から長く国に仕えてくれた忠誠心ある貴族の家柄を大事にするものだから、急に庶民をたくさん取り立てたりしたら──
──それは、とても理に適った画期的な政策だとは思えるけれども──
ずっと王家を守ってきた貴族たちにしてみれば、裏切られた心持ちがするのではなかろうか。
何代も仕えてきた家と違って、本当に忠誠心を持っているのかわからない新参者など、信用ならないと考える者もいるだろう。
反発するのも道理と言えた。
「覚えておけ」と、ラグナードは二人の魔法使いをふり返って、やや目つきをするどくして言った。
「この国は今、
陛下の政策に賛同する者と、
反発する保守派の貴族連中たちと、
大きく二つの派閥に分かれている」
「それで、ラグナードの美人のお兄さんは王様に賛同して補佐してる立場なんだね?」
キリは少し考えこんだ。
「それがどうかしたか?」
「いや、べつに……」
キリは眉をよせる。
あの宰相が一瞬、キリとジークフリートに向けてきた見下しきった視線。
キリにはとても、あれが平民と分けへだてなく接する公平な王様の目と同じとは思えなかったのだが……
「ラグナードは?」
と、キリはたずねた。
「王様の跡を継ぐために皇太子になるんでしょ? ラグナードは、どっちの立場なの?」
「陛下のお考えに賛同してるからこそ、下々の言語を学んだに決まっている」
兄とまったく同じ目をして、王子様はそう言った。
「下々って……それでもお姉さんに賛同してるの!?」
初対面でのキリに対する偉そうなラグナードの態度は、
同じく初めて会ったキリに対等に接してきたイルムガンドルとは、どう思い起こしてもあまりに違っていた。
「めちゃくちゃ庶民を見下してるじゃん。
本心では反対派の派閥に入りたいんじゃないの?」
「何を言っている? 見下してなどいないぞ」
ラグナードは、ばかばかしいというように鼻を鳴らした。
「そのように見えるなら、それはおまえの卑屈にねじ曲がった下々の心が生み出すヒガミというものだな。
まったく、これだから庶民というものは……。
俺は本心から陛下の政策に賛同し、下々の者にも寛大な心で接して、常に民草の声を聞いてやり、政治にも参加させてやろうと思っている」
胸を張って尊大に言いきったラグナードを見て、キリはしばらく言葉を失った。
「えーと……すごい上から目線だね」
これでも本人は見下してはいないつもりらしい。
しかも実際に王都では民に人気があるようだから、たちが悪い。
王様だけが変わっていて、王族とは本来こういうものなのだろう。
やっぱりあの宰相とは、よく似た兄弟のような気がしつつ、
「『お兄さん』の首にもあるのを見たよ、その印」
と、キリはラグナードのほっぺたを指さした。