キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
廊下の両側には、軽鉱を含む大理石で作られた竜の彫刻が宙に並んで浮いている。
竜の口で燃えている青白い廊下の灯りは、ろうそくではなく小さな魔法の炎だ。
ラグナードが、息を止めてキリを見下ろした。
「……何色だった?」
キリは、女装宰相のなまめかしい白い肌の上に刻まれた印の色を思いうかべて、ラグナードの顔にある印の色とくらべた。
「ん。おんなじ」
「え……?」
「まっ黒だった」
「…………」
ラグナードが信じられないという表情になる。
キリは少しだけ顔をしかめた。
「ほんとにそれ、神聖な印なの?」
ラグナードがはじめて訪ねてきたときも、
宰相の肌の上にちらりとそれが見えたときも、
彼女はよくないものを見てしまったような、そんなはっとした心持ちになった。
黒い印はまがまがしく、
近よりがたく、
キリには、何かの不吉な烙印(らくいん)のようにしか思えない。
「……まあ、兄上の印が黒いのは当然かもな」
しばらく続いた沈黙の後、
ラグナードはかたくなな目をしてそうつぶやいた。
王家を継ぐのにふさわしくない人間の刻印は、黒くなる──
と、ラグナードは言っていた。
キリには、どうしてこの王子様がそんな風に思ったのかよくわからなかった。
どこか不気味な青白い炎がゆれる廊下を進み、
樫の木で作られた扉の前で、ラグナードは足を止める。
彼が扉をたたくと、母親の部屋を訪れた時と同じように中から若い女性が顔を出して、
「殿下──」
ラグナードの姿を認めて、やはり息をのんだ。
「姉上に聞きたいことがある」
しかしアンネモーナの部屋の扉を開けた女官とは異なり、ラグナードがそう告げるや否や、
「姫様! 姫様! 大変です! 殿下が……!」
なにやらあわてふためいて部屋の中に向かってそう叫んだその女は、エプロンをつけたメイド姿で、
貴族の女官ではなく、使用人のようだった。
「お……お待ちを……! すぐに支度いたしますので」
メイドはラグナードにそう言うと、ばたんと音を立てて鼻先で扉を閉めてしまった。
「ここに、宮廷魔術師になったっていう、ラグナードのお姉さんがいるの?」
キリは、なにやら騒々しい声や物音が聞こえてくる部屋の入り口を見つめた。
門前払いではないものの、またしてもすぐに家族に会わせてくれないとは、王族というのはなんて面倒なのだろうと思う。
だいたい同じお城に住んでいるのに、家族に会うためにこれだけ建物を移動しなければならないというのも、キリにはとても不便な気がした。
「そうだ」とラグナードはうなずいて、
「ジークフリート。おまえに言っておくが、魔法使いである姉上に異大陸の有翼人種などというウソがどこまで通用するかはわからない。
なにがあっても──」
言いながら背後をふり返り、
ラグナードはあんぐりと口を開けたままかたまった。
「──あの羽人間はどこに行った……?」
彼の後ろに立っていたのはキリだけで、当の天の人の姿はそこにはない。
「え? あれ?」
キリもいつの間にか消えていたジークフリートを探して、きょろきょろと周囲を見回して──
「……あ。いた」
少し離れた廊下の端に、白い姿を発見して指さした。
後ろをついてきていた天の人は、
宙に浮かんだ彫刻の列の前で立ち止まって、じいっと竜の形に掘られた大理石に見入っていた。
「おいッ」
ラグナードがつかつかと靴音を響かせて大またでジークフリートに歩みよって、
「なにをしている!?」
白い大理石のドラゴンをしげしげとながめていたジークフリートが顔を上げた。
「これは、なんだ? 食べ物か?」
「は? 食べ物……?」
どこをどう見たらそういう発想になるのか、天の人の思考回路がさっぱり理解できずにラグナードは眉間にしわを寄せた。
「どうしてここに並べてあるんだ? 食べていいのか?」
「食うな!」
ラグナードはくらりとめまいがして、どなった。
「これは彫刻だ! 石で作った飾りだッ」
「かざり……?」
「おまえらの姿に石を加工した像だぞ? それを食う気か!?」
ラグナードは一瞬、
ひょっとしてドラゴンというのは共食いをする習性でもあるのだろうかと思ったのだが、
「ああ、言われてみれば確かに俺たちの姿だな」
と、ジークフリートは今さらその形に気がついたかのように言った。
白い翼をわきわきと動かして、天の人は感心したようにうなずいた。
「地の人がこの形にしたのか……。よくできてる」
「わざわざ職人が、軽鉱を含む大理石を探してきて作っためずらしい品だと聞いている!
ちょうどこの高度に浮く軽鉱の含有量というのはなかなかないんだ。
食べ物じゃない!」
軽鉱石というのは、
通常の岩石と混じり合うと、浮遊力と重さが釣り合った高さで宙に浮いて止まることもある。
ちょうどこのカーバンクルス城が建っている巨大な浮遊岩石も、通常の岩石と軽鉱石が混合した岩山だった。
「とにかく、ついてこい!
いちいちそこらのものに興味を示して立ち止まるな!」
「わかった」
ふたたび扉の前にもどるラグナードに、ジークフリートがおとなしく従って、
ラグナードは、
なぜジークフリートが彫刻を見てそんなことを言ったのか……
深く考えず、
天の人がどういう生き物なのかもまったく理解していなかった。
それが、とんでもない事態を招くことになるとは
このときの彼にはまだ、想像すらできなかったのである。
竜の口で燃えている青白い廊下の灯りは、ろうそくではなく小さな魔法の炎だ。
ラグナードが、息を止めてキリを見下ろした。
「……何色だった?」
キリは、女装宰相のなまめかしい白い肌の上に刻まれた印の色を思いうかべて、ラグナードの顔にある印の色とくらべた。
「ん。おんなじ」
「え……?」
「まっ黒だった」
「…………」
ラグナードが信じられないという表情になる。
キリは少しだけ顔をしかめた。
「ほんとにそれ、神聖な印なの?」
ラグナードがはじめて訪ねてきたときも、
宰相の肌の上にちらりとそれが見えたときも、
彼女はよくないものを見てしまったような、そんなはっとした心持ちになった。
黒い印はまがまがしく、
近よりがたく、
キリには、何かの不吉な烙印(らくいん)のようにしか思えない。
「……まあ、兄上の印が黒いのは当然かもな」
しばらく続いた沈黙の後、
ラグナードはかたくなな目をしてそうつぶやいた。
王家を継ぐのにふさわしくない人間の刻印は、黒くなる──
と、ラグナードは言っていた。
キリには、どうしてこの王子様がそんな風に思ったのかよくわからなかった。
どこか不気味な青白い炎がゆれる廊下を進み、
樫の木で作られた扉の前で、ラグナードは足を止める。
彼が扉をたたくと、母親の部屋を訪れた時と同じように中から若い女性が顔を出して、
「殿下──」
ラグナードの姿を認めて、やはり息をのんだ。
「姉上に聞きたいことがある」
しかしアンネモーナの部屋の扉を開けた女官とは異なり、ラグナードがそう告げるや否や、
「姫様! 姫様! 大変です! 殿下が……!」
なにやらあわてふためいて部屋の中に向かってそう叫んだその女は、エプロンをつけたメイド姿で、
貴族の女官ではなく、使用人のようだった。
「お……お待ちを……! すぐに支度いたしますので」
メイドはラグナードにそう言うと、ばたんと音を立てて鼻先で扉を閉めてしまった。
「ここに、宮廷魔術師になったっていう、ラグナードのお姉さんがいるの?」
キリは、なにやら騒々しい声や物音が聞こえてくる部屋の入り口を見つめた。
門前払いではないものの、またしてもすぐに家族に会わせてくれないとは、王族というのはなんて面倒なのだろうと思う。
だいたい同じお城に住んでいるのに、家族に会うためにこれだけ建物を移動しなければならないというのも、キリにはとても不便な気がした。
「そうだ」とラグナードはうなずいて、
「ジークフリート。おまえに言っておくが、魔法使いである姉上に異大陸の有翼人種などというウソがどこまで通用するかはわからない。
なにがあっても──」
言いながら背後をふり返り、
ラグナードはあんぐりと口を開けたままかたまった。
「──あの羽人間はどこに行った……?」
彼の後ろに立っていたのはキリだけで、当の天の人の姿はそこにはない。
「え? あれ?」
キリもいつの間にか消えていたジークフリートを探して、きょろきょろと周囲を見回して──
「……あ。いた」
少し離れた廊下の端に、白い姿を発見して指さした。
後ろをついてきていた天の人は、
宙に浮かんだ彫刻の列の前で立ち止まって、じいっと竜の形に掘られた大理石に見入っていた。
「おいッ」
ラグナードがつかつかと靴音を響かせて大またでジークフリートに歩みよって、
「なにをしている!?」
白い大理石のドラゴンをしげしげとながめていたジークフリートが顔を上げた。
「これは、なんだ? 食べ物か?」
「は? 食べ物……?」
どこをどう見たらそういう発想になるのか、天の人の思考回路がさっぱり理解できずにラグナードは眉間にしわを寄せた。
「どうしてここに並べてあるんだ? 食べていいのか?」
「食うな!」
ラグナードはくらりとめまいがして、どなった。
「これは彫刻だ! 石で作った飾りだッ」
「かざり……?」
「おまえらの姿に石を加工した像だぞ? それを食う気か!?」
ラグナードは一瞬、
ひょっとしてドラゴンというのは共食いをする習性でもあるのだろうかと思ったのだが、
「ああ、言われてみれば確かに俺たちの姿だな」
と、ジークフリートは今さらその形に気がついたかのように言った。
白い翼をわきわきと動かして、天の人は感心したようにうなずいた。
「地の人がこの形にしたのか……。よくできてる」
「わざわざ職人が、軽鉱を含む大理石を探してきて作っためずらしい品だと聞いている!
ちょうどこの高度に浮く軽鉱の含有量というのはなかなかないんだ。
食べ物じゃない!」
軽鉱石というのは、
通常の岩石と混じり合うと、浮遊力と重さが釣り合った高さで宙に浮いて止まることもある。
ちょうどこのカーバンクルス城が建っている巨大な浮遊岩石も、通常の岩石と軽鉱石が混合した岩山だった。
「とにかく、ついてこい!
いちいちそこらのものに興味を示して立ち止まるな!」
「わかった」
ふたたび扉の前にもどるラグナードに、ジークフリートがおとなしく従って、
ラグナードは、
なぜジークフリートが彫刻を見てそんなことを言ったのか……
深く考えず、
天の人がどういう生き物なのかもまったく理解していなかった。
それが、とんでもない事態を招くことになるとは
このときの彼にはまだ、想像すらできなかったのである。