七夕の出逢い

新しい家族 04話 Side 真白

 ハナを迎えて一ヶ月が過ぎたころ、三度目の予防接種も終わりお散歩へ出かけることができるようになった。
 お散歩に行く、といっても藤山の中を歩くだけ。
 いつもは、お父様がお母様のために作った散策ルートの短距離コースをハナと歩く。でも今日は、涼さんも一緒だから長距離コース。
 ハナは足取り軽やかに私たちの少し前を歩いていた。
「司の様子はいかがですか?」
「どうでしょうね。あまり表立った変化はないのですが、ここのところリビングでハナの絵を描くことが増えました」
「ほほう……。学校から帰宅したら部屋に篭って勉強ばかりしていた司が、ですか?」
「えぇ、その司が、です」
 私たちはクスクスと笑う。
「あとは、私よりも一生懸命ハナに躾や芸を入れようとしています」
「くっ、ハナにとってはいい迷惑ですね」
 ハナは自分の話題であることに気づいたのか、歩みは止めることなくこちらを振り向いた。
「ハナ、司はとってもいいお兄ちゃんよね?」
 たずねると、ハナはどこかツンとした表情で、それまでよりもテンポを速め意気揚々と歩きだす。
「おやおや、私がお姉ちゃんよ、といった歩きぶりですね」
 司は三人姉弟の末っ子。
 けれども、隣の家には従兄の秋斗くんもいるため、姉がひとり、兄がふたりといった環境で育ってきた。
 この子が小さいころは、「子どもらしくない子ども」とよく言われたものだけど、末っ子の気質はしっかりとあった。
 わがままを言うことこそなかったものの、人一倍負けん気が強い子だった。
 常に湊や楓、秋斗くんをライバル視しており、三人がしていることはなんでもやりたがった。
 絵を描き始めたのも三人の影響。
 湊が風景画、楓が人物画、秋斗くんが静物画。
 司も最初は静物画を描いていたけれど、対象はしだいに動物へと変わっていった。
 そして、司のこの向上心に目をつけた湊たちは、面白がって勉強を教え始めた。
 おかげで、司は幼稚部の時点で九九が言えるようになっていたし、初等部に上がる前には分数や小数点の足し算引き算掛け算割り算までできるようになっていた。
 学習の分野は算数に留まらず、ほかの教科も満遍なく。
 同学年の子が学ぶものの先をいく司は、入学したときから学校という場所に不満を持っていた。
 なぜなら、学校で学ぶことはすでに湊たちから習ったものばかりだったからだ。
 学校へ行っても新しい知識は得られないと解釈してしまった司は、さらに湊たちから得られるものを無心し、学校に価値を見出すことはなかった。
 そんな司が学校へ休まず通っていた理由は、「義務教育」であることを理解していたから。そして、学校へ行けば動物がいたからだろう。
 しかし、それも初等部までのこと。
 中等部には動物がいないため、気づけば司は先へ先へと勉強を進め、あっという間に高等部までの勉強を終わらせてしまった。
 先日、高等部へは上がらず留学したいと言い出したけれど、それはどうなることか――

「真白さん、何を考えていらっしゃいますか?」
「……司のことです」
「留学のことでしょうか」
「えぇ……」
「真白さんは反対ですか?」
「……司が価値を見出せる場所に身を移すことには反対しません。ですが、海外ともなると寂しいです」
「……そうですね。でも、なるようにしかならないでしょう」
 涼さんは相変わらず涼やかな顔をしている。ちょっと悔しくなって、
「もしも湊が留学したいと言ったらどうしましたか?」
「そうきましたか……。そうですね、どうしたでしょう」
 涼さんは確かな言葉は述べなかった。
「真白さん、きっと大丈夫ですよ」
「え……?」
「湊と楓、秋斗の三人が司の成長を見逃すと思いますか?」
 涼さんが何を言わんとするのかがわからない。
「あの三人は私たち以上に司に手を尽くしてきたでしょう。これからの成長が楽しみな弟分をそう易々と手放すとは思えません。そのくらいには我の強い三人だと思いますよ」
「そうでしょうか……」
「では賭けますか?」
「えっ!?」
「私は湊たちが説得に説得を重ねて海外へ行かせないほうへ一票。真白さんは?」
「……これが賭けならば、私が海外へ行くほうへ賭けなくては成立しなくなってしまいます」
「おや、ご不満そうですね。では、留学しないことを願いましょう」
 願ったなら、司は国内に留まってくれるのだろうか……。
 不明瞭な未来を案じていると、涼さんに手を掴まれた。
 そのまま引き寄せられ胸に頭を預ける。
「大丈夫ですよ。すでに言質は取ってあります」
「言質、ですか……?」
「はい。真白さん、司に渡された犬の育て方の本は大切にしまっておくように」
「え……?」
「あれには司の一筆が書かれていますからね」
「一筆……」
「思い出してください」
 何を……?
「ハナの朝の散歩は真白さんが、夕方の散歩は司が行くと書かれています。いざとなれば、その役割を放棄するのか、と問い質せばいい」
 私が絶句していると、
「私は子どもたちを無責任な人間に育てた覚えはありません」
 涼さんの顔を見上げると、額にふわり、と優しい口付けが降ってきた。
「真白さんに悲しい顔はさせません」
 涼さんは真っ直ぐな視線で、
「私の言うことが信じられませんか?」
「いえ……」
「では、信じていてください」
「……はい」
 涼さんはにこりと笑い、今度は少し腰を屈めて唇へと口付けられた。
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