シャクジの森で〜青龍の涙〜
エミリーは、テーブルの隅に置いてあるタペストリーに目をやった。

完成するまで見て欲しくない気持ちもあるけれど、別の理由がある。

それは―――――

視線を落とせば、嫌でも白い包帯が目に入る。

アランは、これを大層気に掛けてくれているのだ。

エミリーは朝の診察の際、医官に「取って欲しい」と頼んだのだけれど、一緒にいたアランが「駄目だ」と言って止めたのだ。

完全に治るまで取ってはならぬ、と。



『エミリー。あまり、この手を使うでないぞ』


出掛けに念をおすようにそう言われ、あたたかい大きな掌に包まれたこの手。

その時「私が留守の間、本を読んでおるが良い」と、アランは壁際にある棚を指し示した。

そこには数冊の物語集が入っていて、一冊手に取ってみれば、当然ながら中身はヴァンルークスの文字で書かれていた。

講習を受けているから、他の国の文字も読めないことはないけれど、まだ拙くて理解するのに時間がかかってしまう。

中途半端なところで終わってしまいそうで、心の中で懸命に謝りながら丁寧に棚に戻した。


そんなわけで、刺繍をしていることが知れたら怖いお顔で叱られてしまうかもしれないのだ。



「でも、アラン様ったら。このくらい、平気なのに・・・。でも、次の国に行くまでには、絶対に取ってもらわないといけないわ」



この国を出立すれば、婚姻報告を兼ねた外交目的で二ヵ国に訪問する。

一つはマリア姫のいる『ラステア』もう一つは『アルベルク』という国。

二つとも豊かな国で、先に訪問するアルベルクは、ヴァンルークスよりも更に北の方にあるらしい。

そこでは、エミリーもアランと一緒に行動して外交をするのだ、包帯なんてきっと邪魔になってしまう。

初の本格的な外交。

しっかり親交を深めて、国同士の繋がりを強くしなくてはならない。

一度宴に出ただけのヴァンルークスとは、ワケが違うのだ。



「わたしのやるべきこと。明日、アラン様といっしょに復習しておこうかしら」



明日はお出掛けを止めて一通りのおさらいをお願いすることに決め、エミリーは紅茶を飲み干してアランの為にお菓子を薄紙に包んでとって置き、カップを持って立ち上がった。



「シャルル、少しの間出てくるわ。大人しくしててね」



扉を開けて一歩廊下に出ると、エミリーの姿を見とめたシリウスからすかさず声がかかる。



「エミリー様、どちらに行かれるのですか」


そう問いかけながらエミリーの行く手を阻むようにして立ち、頭を下げていた。
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