シャクジの森で〜青龍の涙〜
静かな口調だけれど、言葉尻には咎めるような気が込められている。

アランたち王子が視察に出ている今は、エミリーにとってはかなり危険な状態。

ルーベンの兵士の協力も得ているお陰でこの離れの警備は十分だが、荒野で襲われたときも街中で戦闘した時も賊達はかなりの腕前だった。

ギディオン切っての精鋭であるシリウスたちでさえも、民やメイたちを守るのが精一杯で捕える事が出来なかった程なのだ。

全くの、互角。

念のため、なるべく動いて欲しくないのが本音だ。



「このカップを下に持っていくの。外に出るわけではないわ」



愛らしくそう言って、赤い花柄のカップをかざすエミリーの手を見、シリウスの表情が堅くなる。

そう。もう二度と、こんな傷を負わせる訳にはいかない。改めて気が引き締まった。



「その様なことは、エミリー様がなさることではありません。メイドにお命じください」



シリウスは、何とか止めることを試みる。

が――――



「ダメよ、メイたちはとても忙しいもの。こんなことだから、わたしがしたいのです。この中を少し歩くだけですもの、構わないでしょう?」



――――そう。

厄介なことに、エミリーは頑固にも譲らない時がある。

それは、こんな風に、何とも些細な事柄だったりもするのだが・・・。


強い意思を持ったアメジストの瞳が、シリウスをじっと見つめる。

この裏表のない純な瞳は、絶対的な王子であるアランさえも負かしてしまうのに、一介の兵が勝てる筈もなく・・・。



「・・・分かりました」





エミリーは、警備兵にがっちり四隅を囲まれた状態で、下の階を目指した。

はっきりと場所はわからないけれど、こういう建物は、どこも造りがあまり変わらないものだ。

一階には、使用人用の仕事部屋や休憩室があり、大抵、奥の一番突き当たりがキッチン関係なのだ。

広く取ってあり、ワゴンを通すために扉が他に比べて大きいのが特徴だ。


エミリーは、シンプルなデザインの両開き扉の前に立った。

今の時間、誰かいるだろうか。

いなければ、水場を借りてサッと洗っておくつもりだけれど―――



「シリウスさんたちは、ここで待っていてください。すぐに戻りますから」



そう告げて扉を開けると、食器の重なるカチャカチャ音に混じって、メイドたちのものであろう声が聞こえてきた。

鈴を転がすような笑い声もあって、忙しそうだけれどそれなりに楽しく仕事をしているよう。

聞きなれたメイやナミの声はなく、どう声をかけていいものか迷う。

何しろ、皆の名前を知らないのだ。
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