とある神官の話
背後から私を引っ張ったゼノンは入れ代わるように前に出る。前には荒い粒子の集まりのようになり、先程よりも透明さが増した人影が揺らめいた。
ランジットがヤヒアの方に向かい、イェルガンとともに襲い掛かっている。
『――――貴方はシエナというのですね』
「お前は」
鋭くゼノンが問いただすと、男は『そうか』と口を開く。そして『彼女を―――』と寂しげに微笑を浮かべた。
消えて、しまう。
『彼女を―――シエナさんをよろしくお願いします』
どうしてそんなことを?
私が繰り返すその問いの答えはなく。神官の男は崩れていく。
やがて粒子が飛散し、完全に消えうせた。
言葉を失い、呆然としている私をよそに「予想外だな」という近距離からの声。あのランジットが炎の向こうにいて、そしてイェルガンが体勢を立て直し再び構えている。
こちらはゼノンが私を庇い、刃をヤヒアに向けていた。
「アレクシスは大量殺戮術でも封じたんだと思ってたんだけど。取り出せないとなると――――」
「貴様は絶対殺す。あのリシュターもな!」
ヤヒアが屋根の上に着地。武装神官らやランジットがそれを見遣った。私もまたそれを追い掛けるように見つめるが、ヤヒアのその射るような視線に身を竦ませる。
こちらにも感じる殺気は、イェルガンだ。
彼とヤヒアの関係はどうなっているのか。しかもリシュターとは、あの枢機卿のことか?
駆け付けた神官らの動揺が伝わるようだった。それもそうだろう。指名手配されたヤヒアに、元神官と名乗ったイェルガン、そして先程まで姿を見せていた神官服の男――――何が何なのかさっぱりである。
「どうしようかな。彼女をさらった方が手っ取り早いけど」
「悪いがそれは無理だ」
「っ」
突如夜の街中に木が姿を見せる。驚いたのは何もヤヒアだけではなく、ここにいる皆がぎょっとしたのはだろう。
木はもちろんヤヒアが焼き払って消滅、残ったのは地面に着地した男の姿。
何故ここに?
そこに現れたのは新たな武装神官と、バルニエルにいるはずのアーレンス・ロッシュの姿があった。
「私の"娘"でもあるのでな」
アーレンスが再び能力を発揮しようとしたが、そう簡単にやられるヤヒアではない。「不愉快だ」と舌打ちをし、こちらに向かって何かを投げた。
それにアーレンスとイェルガンの「顔を庇え!」という声が重なる。
強い光だ。
闇色の空を照らしたそれに顔を庇う。それはたった数秒だが、強烈だった。強く目を閉じて腕をあげていたのにも関わらず、ゆっくり開けた視界はぼやけている。揺らめいた体を支えたのは「大丈夫ですか」ゼノンだった。
騒ぐ声と、神官達。ヤヒアの姿はない。
「……何なの」
そう漏らした私がロッシュを見ると、彼はちょうど指示を出した後――――イェルガンと何か話している。
大丈夫か、とランジットの問いに頷くが、私の頭はこんがらがったままだ。それを誰に問えば答えが出る?私が、私が浮かんだ考えも、可能性も、本当だったら?
それは、怖い。
大丈夫、とゼノンから少し離れて私は小走りで「アーレンスさん!」と近寄る。何か知っているのではないかと思ったのだ。
近くにはイェルガンが立ち、こちらを見る。
「どうして、何が」
「落ち着け。いろんなことがあって混乱するのはわかるが――――とにかくヴィーザル、お前は」
「ヴィーザル・イェルガンの身柄は拘束します」
「なんだって?」
厳しい顔をした神官の一人が割り込むようにしてそう言った。それにアーレンスが眉間に皺を寄せる。
「ただの手続きなら私でも構わないはずだが」
「いえ……その」
言い淀む神官が「毒舌魔王が…」と。
勿論「え?」といった私を誰も咎めない。むしろわかったらしい連中は明後日の方向を見遣るという小さな現実逃避をしてみせた。
つまり、とアーレンスが「あの馬鹿の仕業か」と結論。
「任せてもいいんだな?」
「はい。それから伝言です――――今年も波瀾万丈になりそうだ。これからが勝負だぞ―――だそうです」
「……わかった」
では、と拘束されたイェルガンが数歩先で止まった。アーレンスが呼び止めたからだ。
「……決着はつける。それまで、待っていてくれ」
その言葉が何を意味するのか私にはわからなかったが、イェルガンは自嘲するように笑いに「お前は相変わらずだ」と言って背をむけていく。
火事やら襲撃からで街は賑やかだ。
これが、ヴァン・フルーレにきた私が感じた"予感"なのだろうか。
アーレンスの大きな手の感触を頭で感じながら、どうしようもなさを持て余す。
* * *