とある神官の話
うっかり笑ってしまった私に、アーレンスがくしゃりと頭を撫でる。やや乱暴に撫でるので髪の毛はぐちゃぐちゃだ。だがそれが、酷く私を落ち着かせた。
いつもそう。
父はいつだって、私のために動いている。私のために全て用意して。
「聖都にいる"黒幕"がどうであれ、事情を知るヴィーザルが口封じされてもおかしくない。ミスラが手を回し、教皇も既にアガレスに何があったかを知っている―――お前もハイネンから聞いたのだろう」
「ええ……」
「ハイネンとて"全て"を知っているわけじゃない。どれが本当なのか、誰もが探っている」
大丈夫だ、というアーレンスに頷く。
あまり出歩くな、とだけ言われ、アーレンスが部屋を出ていった後、私は溜息をつく。
―――私にも意地がある。
不安、心配。それらに押し潰されそうであっても、それを見せたくはなかった。それでいて、誰かにしがみついてしまいたくなる。助けてといえたら楽だが、生憎私はそんな性格をしていない。
大丈夫。
私は平気だ。大丈夫。
―――ノックがされた。
返答のあと姿を見せたのは、表情を陰らせたゼノンだった。思わず視線をはずした私に「さっき」とゼノンが口を開く、
「聖都から連絡がありました。帰還しろと」
「……それは」
「枢機卿長からではなく、教皇からの話です。枢機卿長は現在、今回のアークの術式の件で査問会が開かれる予定だそうですよ」
アークの術式を聖都から持ち出させたのは枢機卿長だ。封じられていた術式だというのに、何故あんなことをしたのか。
それについて公言されれば、枢機卿長とて逃れられない。
リシュター枢機卿長は一体どうするつもりなのか。
閉められていた窓を開けたらしい。すっと僅かに冷たさを帯びた風がすり抜けてくる「シエナさん」
窓付近にいるゼノンが、視線をこちらに向けてきた。
「どうして、あんな無茶をしたんです」
無茶?
聞き返した私に「一人で炎があがった建物に行ったでしょう」と言葉が返ってくる。
あの時、魔犬がいる中で私は、ただ居るだけだった。大して戦闘も出来ない私は、"魔術師"の能力持ちだ。爆音が響いた向こうがどうなっているかわからなかった。炎、水、風―――などを操ることも出来る"魔術師"の能力持ちが、ただ居るだけというのは勿体なさすぎる。
あの時、ゼノンは私を呼び止めた。それを私は振り切って見てくると背を向けた。ただつっ立っているだけより、動くべきだと思った。あれだけの騒ぎだったのだ。動かないほうが、おかしい。
「犠牲者が出ていたかもしれない中を、ただ突っ立っているだなんて私には出来ません」
「それでも、私やランジットと何故合流しなかったんです!」
語気を荒げたゼノンに、私は弾かれたように驚く。
それは、"事実"を言われたからか。それとも―――ゼノンがこれだけ怒るのを初めて見たからか。
どちらとも、いえる。
「ヴァン・フルーレにも神官はいるのに、何故勝手に一人で動いたんですか。貴女は――――!」
窓の近くに置かれていた手に、力が込められていた。
わかっている。
ジャナヤの件から、今に至るまで色んなことがあった。そう。色んなことが。その中で私が、どんな存在だったのかも、全てわかっている。
――――最初から。