とある神官の話
「あの子は誰にも救えないよ。かわいそうに。どんな風に泣くかな、あの」
その続きは紡がれることはなかった。「猊下!」と咎めるそれを完全無視した父が、武装神官の腰に下げていた短剣をかっさらい、あろうことか人形の顔に突き刺したのである。
そのため、人形は皹が広がり粉々に砕けた。
私もそうしようとしたのだが、例え人形とはいえ"シエナ・フィンデル"の姿というのが動きを鈍らせていたのがわかる。
悔しい。
これでは相手の思うつぼではないか。
…――――救えない、だと?
握っていた刃がふっと消えていくなか、慌ただしく神官らが動くなか、父がばっさり私にいってのける。
「たかが人形に惑わされるな、ゼノン」
「っ……」
鋭いそれに、力が抜けた。
体が傾きかけたが、それを支えたのは父てあった。こちらを見て、何かをほぐすかのようににかりと笑って見せる。
「おいお前ら、"これ"の処理頼むぞ」
「はっ」
父が指示を出していく。
それに弾かれたように武装神官らがそれぞれ動いていた。
ランジットはというと、強く拳を握りしめ、人形の残骸を見つめていた。本当のシエナと人形がいつ入れ替わったのかわからないが、ランジットはそれまで一緒にいたはずだろう。入れ替わったことに気づかなかったそれを責めているはずだ。
責めることなど、出来ない。
私は馬鹿みたいに寝てただけだ。本来なら、私が彼女を守るべきであったのだ。
何が救えない、だ。
救えないと、誰が決めた。誰が。私は認めない。私は、絶対。
……シエナさん。
唇を噛みながら、父の腕から逃れる。大丈夫か、などとはいわない。ただ僅かにこちらを見て、肩をすくめるような仕草をするだけだが、それに「猊下」という声が割り込む。
一瞬、辺りにいた武装神官や散らばる"破片"に表情を変えたが、それよりも他に気になるなにかがあるらしく、視線は父フォルネウス、もとい教皇エドゥアール二世へと戻る。そのため父も教皇の顔へと戻り、「どうした」と返す。
その言葉に、神官が僅かに不安げに見えた。
「申し上げます。先遣隊が帰還しました」
「……そうか」
「どうなされます」
「詳しい話を聞こう。枢機卿連中を集めておいてくれ」
――――先遣隊が戻ってきた。
私だけではなく、そちらにはエリオンらも視線を向けた。
ジャナヤへと向かっていた先遣隊が戻ったのだ。誰もが彼らが持ち帰ってきた話を気にするだろう。それは私もだが、それよりも彼女が心配だった。
頷いて去っていった神官を見送ったあと「さて、と」と父はこちらを向いた。
「ゼノン、お前は会議が終わるまで大人しくしていろ。ランジットと、エリオンも一緒にな」
「父さ――――猊下」
「話を待っていろ、息子よ」
軽く肩を叩いて、父は武装神官とともにその場を後にしていく。
先輩、と声をかけてきたエリオンと、沈黙を守ったままのランジットに「……戻りましょう」というと、私もまたその場を他の者たちに任せて部屋へと歩き出す。
裸足のまま宮殿、しかも宮殿の奥は教皇がいる場となるそのなかを歩いているというのは何とも奇妙なものだ。ひたりひたりという音と冷たさが響く。
大人しく待っていろ。
確かに今の私にはそれしか出来ない。
なんと、もどかしいことか。
部屋に戻ってすぐ、皆が息をはくような重苦しさが残った。
自然とそれぞれ腰を下ろす。
まず、私は聞く必要があった。それはもちろん私が術式をくらい、意識がなかった間の出来事を知る必要があった。
知らなくては、動きようがない。
それにランジットもエリオンも頷き、ランジットが口を開いた。