とある神官の話
「知っているか?彼女は最後までお前のことを案じていた。衰え、死に近づきながらもな。その間お前は何をしていた?恋人が無惨に死んだことを知らずに、何を思った?」
―――恋人。
アゼルはアガレスに視線を向けた。恋人だったのか。考えていたが、と唇を噛む。吐き気がした。
アルエとアガレスは恋人同士で、何らかアルエは死んだ。その本当の原因をアガレスは知らずにいて………。
どうして本当の原因とやらを知ったのかはアゼルにはわからないが、それで二十年ほど前の"あの事件"なのかと理解した。
自分が信じていたこととは違うこと。
それを知ったとき、どう思っただろう。冷たい墓の前で、何を。
アガレス・リッヒィンデルといったら、今から二十年ほど前に神官や枢機卿を殺害し、闇に堕ちた者として指名手配された。一般にも悪人、というイメージがある。もちろん、アゼルもだ。
しかし"あの"アガレスが、という声もあったのはアゼルも知っている。あの事件前よアガレスは優秀な神官であったのだ。
酷い。
これでは、あまりにも。
胸には黒い影が忍び寄るが、アゼルは追いやる。今はあれこれ考えている場合ではない。
アガレスと人形が激突する近くで、考えて「ラッセル」と名前を呼んだ。やや疲れた顔のくすんだ金髪がこちらを向く。
「死ぬ気で殺るぞ」
「怖いねぇ。ま、死ぬつもりはないけど、な!」
ラッセルは男らしい笑みを浮かべて、炎を操る。この暑さの中で炎だなんて洒落にならないな、などとぼやいている。確かにな、とアゼルはわずかに口許をほころばせた。暑いのに熱くしてどうする。
雑魚はこちらで引き付ける。
正直いうと、あのアンゼルム・リシュターに自分等がとやかくできるとは思えない。こはやはり、アガレスが一番頼りになる。
弱腰といったらそれまでだが…。
あのアガレスにも恋人という存在がいたのかと思うと、親近感のようなものが浮かんだ。
あの事件よりも前の彼は、セラヴォルグ・フィンデルやヨウカハイネン・シュトルハウゼンと並んで有名であった。敵うことのない相手ら。それが少し近くに感じられた。
はじめから、そうだったのだ。
アガレスは悪人ではなかったのだ。あの事件までは。あの事件から、人物像がわからなくなってしまったのであろう。
アゼルだって、アガレスのことはあまり知らないのだから。
「そして、復讐にかられたと。たかが女ひとりのために」
「たかが、だと。それをいうなら、たかが研究の、己の欲のために多くを殺した貴様にはわからぬだろう」
「研究などに犠牲は付き物だよ。多くの犠牲によって得られたものが今だ。禁術は何故禁術とされたかの背景があるようにな」
アガレスの怒号に近い声。アガレスと影の間には、かつてアガレスが愛した女の顔をした人形が割り込む。
影ならば、本体はどうした?
別のところだろうが、ならばシエナも…?
そうなるとここでの争いは、アゼルらには意味がない。ただの消耗戦となってしまう。ここではアゼルらは不利だ。ラッセルも「どうする」といいたげな顔をしている。
アガレスを一人置いていく、だなんて。出来ない。ならばどうする?
「――――アゼル!」
まさか、と思った。
そんな、と。
聞き覚えのある声。アゼルは「わお」といっているラッセルと同じように「あ…」と声をもらした。
急いできた、その間敵と戦ったらしいことがすぐわかる。剣は抜いたままだったし、汚れてもいる。
何でここに?
アゼルは久しぶりに見る男―――キース・ブランシェに泣きたくなった。
こんな場所ではなかったら、もしかして泣いてしまったかもしれない。だが、今はそんな場合ではないという事実が、アゼルの涙を強引に引っ込ませる。泣きたい気分はどうすることも出来ないが。
「無事だったんだな。よかった。しかしこれは」
「シエナ絡みでやってきたのはいいが、な」
「あれは…!」
アゼルの視線に従い見たのは、人形らと影。それから「あれって、アガレス・リッヒィンデルでは?」と見慣れぬ神官が口に出す。名前を知らないアゼルに、キースはエリオンという名前とゼノンの後輩であることを教えてくれる。
なるほど。
ゼノンも、か。
あのストーカーのことだから、来てないはずがない、か。
敵はもう、わかっている。
エリオンは能力持ちらしく、アゼルらにも守りの術をかけている中「アガレス!」とよく声を響かせたのはハイネンだった。キースやアゼルらよりも前のほうで、アガレスと視線を交わしていた。
「お前はどうしてここに来た」
「セラの娘を取り戻しに、ですよ。または腐れ外道を倒しにきた勇者たち、ともいいますが」