とある神官の話
「様々な場所で、様々な人物らが研究していたらしいが、その実体というのは中々掴めないことばかり――――いつだって終わりは見えない。欲は尽きないからな」
淡々と話すそれは、今ではなく過去を見ていた。過去といっても、つい最近のものではないらしい。
言葉を忘れたように黙ったままのハイネンと、同じくまた黙ったままのアガレスは視線をそらすことはしない。言葉も聞き漏らさないようにしていた。
―――のだが。
娘のすぐ前に、氷が出現した。「アガレス!」隣にいたアガレスが力を使ったのだ。
非難に近い声をあげたが、ハイネンは非難などすることは出来ないのをわかっている。相手は、危険なのだ。何かされてしまう前に、というのもわかる。
しかし娘はそれを、無造作に手で止めて見せた。
氷は粉々に砕け、散っていく。
「お前は、誰なんだ」
「その問いはゼノン・エルドレイスにも聞かれたな」
「お前は…」
「私は誰、であったか」
そこには、疑問があった。ただそれは一瞬のことで、すぐに微笑みに変わる。
「もはやどうでも良いだろう。私は何者でもなく、そして何者にでもなれる―――」
どういう…?
言葉に集中していたハイネンは、アガレスからの「避けろ!」というそれに反応がやや遅れた。そのため刃を受けてしまう。
守りの術が効いてはいるが、向こうのほうが強いらしい。傷の痛みを感じながら剣を構え直す。アガレスは同じように回避し、鋭く睨んでいた。
浮游するのは、黒い刃。剣のように見える。
主人の命じられるがまま動く刃のほかに、主人のまわりには守りの術が発動しているのがわかった。
そっくりの人形ではないなら、やはり本物である。なら…。
ゼノンはどうしただろう。
途中で離れたっきりでわからないが、向かってきてはいるはずだ。そしてこれを見たとき、彼はどうするだろう…。
再び襲いかかる刃から身を守るべく、回避行動を続ける。掠めていくそれが、エリオンの守りの術を破っていく。ひとつひとつが重い。
黒い刃はしつこくアガレスや、ハイネンを追いかける。そのうち地面から黒い影のようなものがのびて捕らえようとしてくる。
「魔術師の力、か。これこそ本物というべきだな。しかしまだ抵抗が酷い」
かつてウェンドロウがやろうとし、そして実際ハインツとして表に出てきたそれを思い出す。まさかな。いや、否定はできない。
しかし、向こうのことを考えると、同じでは意味がない。どこか違うのではないか。
一人「慣れは必要だな」などといっているのは、間違いなく敵である。しかも、あのアンゼルム・リシュターだ。そしてシエナ・フィンデルでもある。傷つけてしまうのを躊躇っている場合ではない。しかしハイネンは迷う。
そんなハイネンに「しっかりしろ」とアガレスがいう。
「あのまま逃せば、次はない」
「わかってますよ!ですが」
どうしろというんです。
ハイネンはつい最近の出来事である、あのハインツのことは悪だとわかっていたし、決着がついてしまった。だが、これは違う。シエナの体は操られているのか、乗っ取られているのか――――。
ウェンドロウやハインツの時とは違う。だがあきらかにそのときの"データ"はわたっている。
黒い刃が自由に動き回るなか、「……顔色が悪いな」というアガレスに、確かにと思う。
"抵抗"。
あれは確かに、抵抗が酷いと口に出していた。それが原因だろうか?
"シエナ"はまだ立ったままだが、不意に体を折った。顔を手のひらで覆い隠し、よろめいた。
「―――まだ抵抗するか」
低くそう言葉が発せられ、彼女はそのままきびすを返す。
追いかけようとするのを阻むのは、黒い刃。地面から伸びる手の形のような影。
「邪魔だ!」
アガレスが能力で蹴散らしながら、追いかける。ハイネンもまた同じく黒い刃を叩き落としながら追いかけた。
温室内は荒れていた。転がる鉢植えや、のび放題の蔓に足を取られないように、それから黒い刃などからの攻撃から身を守る。逃すな。逃してはならない。
――――ただの温室の訳がない。
見つけた、と思ったとき、向こうはこちらへと振り向いた。その顔は、笑み。冷たく、残酷な笑みだった。
しまった。
そう思ったときには遅かった。