とある神官の話
"シエナ"の向こうに見えるハイネンは、術による拘束が効いているのかあれから言葉を発することはない。それから――――驚くことに、そこにはあのアガレス・リッヒィンデルの姿があった。
彼もまたハイネンと同じように拘束され、青白い顔のまま項垂れて動かない。
アガレスがここに何故いるのか?
やはり、何かここだという情報があったのだろうか。
彼の目的は、アンゼルム・リシュターであろうが、こうなっては手を出すのが難しいだろう。
やたらむやみに近寄るな、とマノがいっていた通り、ゼノンらは彼女と距離をとっていた。温室内は大きいとはいえ、戦うには少々窮屈でもある。
崩れかけた建物は、外との境を失っているところもある。そこまで下がってレオドーラは回避していた。
黒い刃は浮遊し、自由自在に動き回る。大きさは普通の剣ほどあり、厄介だ。
「能力持ちの中でも、魔術師はやはり厄介だが…手の内にあると頼もしくなるな」
「彼女を返しなさい」
黒い刃を砕き、そうゼノンはいった。刃によって残っている温室のガラスが砕ける音がする。
"シエナ"は口角をあげ、「どうして?」問いかけた。声は彼女のままだ。それがゼノンの胸を締め付け、揺らがせる。相手の思う壺だと思考を追いやった。
口調を真似るそれが、怒りを呼び寄せる。
「私はゼノンさんのものじゃありませんよ」
。私は、私だから」
「っ貴様はアンゼルム・リシュターだろう!」
「本当に?」
「――――」
「本当に、私はアンゼルム・リシュターでしょうか?」
周囲では仲間が刃と戦っている。
向こうにはハイネンとアガレスが拘束され、言葉はない。
――――前に。
それはゼノンが術式を喰らうとき、リシュターは奇妙なことをいっていた。不老不死。自分が誰なのかわからないこと…。
"彼女"のなかにいる人物が誰なのか。それはもちろん、アンゼルム・リシュターであろうとは思う。だが、どう確かめる?また第三かもしれない。わからない。証拠がないのだ。
戸惑うのがわかっているのか、"彼女"は笑っていた。
「耳を、貸すな…!」
絞るような声はアガレスのもので、青白い顔がさらに色を失いつつある。死に近い色。
彼女はつまらなさそうに「黙っていろ死に損ない」と告げると、主に拘束の役割を担っていた植物の刺が肌を破り出血させた。呻くアガレスの抵抗力に、術が点滅している。
彼らのことをどうにかしたいが、ランジットやレオドーラ、それからゼノンも今目の前のことでいっぱいだ。
彼女は、再びこちらへと意識を向ける。
アガレスと、ハイネンを拘束したままで何をするつもりなのか。拘束したなら、息の根を止めて数を減らした方がリシュターにとって都合がいいはず。なのにわざわざ拘束し、ゼノンらがやってくるのを待っていた理由は――――自分、か?
まさかな。
「何かを成し遂げようとするとき、人間の寿命は短い」
指先が、近くの植物に触れた。
すると植物は瞬く間に成長し、花を開かせる。
「それに比べて、ヴァンパイアは倍は生きる。だが、同じようにいつかは死ぬ」
「それが、この世の自然の摂理です。不老不死などありえない」
「しかし、お前は見たのではないのか?不完全だが、近いものを」
――――ハインツ。
ゼノンが思い出すそれらを知っているからこそ、そういったのだ。
ハインツの件があるから、怖い。
どうなっているのか、わからない。
花開いたそれが、だんだんと朽ちて「しかしあれも不完全だ」という言葉よりも先に枯れ果てた。枯れていく花などを見ながら、彼女はいう。
「だからこそ、研究するのだろう。その手を闇に染めても手にいれる価値はある―――そう思わないか?」
あの手はシエナのものだ。
体も、声も。
乗っ取られたというなら、本来のシエナはどこにいったのだろう。シエナ。名前を呼んでも、目の前の"彼女"は違う。だから名前はよばない。
そのとき、すぐ近くまで来たランジットが「気づいてるか」と小声でいう。
近づいてきた黒い刃はゼノンが腕をふるい、全て破壊する。
それは、そう。
――――マノが消えていることだ。
最初はいた。だが気がつけばその姿を確認出来なくなり、ゼノンは気にはしていた。が、目の前のほうが重大で手を回せなかった。マノよりも目の前の"彼女"のことで頭がいっぱいであったのだ。
「少し時間を稼げ、だとさ」
「稼げ…?何かするつもりなのか?」
さあな、と言うか否か、ランジットは刃を叩き壊す。レオドーラは「邪魔だっ!」と叫びながら相手をしていた。その顔には疲労と、焦燥。それはここにいる皆が同じだ。
"彼女"を除いて。