とある神官の話




 ――――しまった。
 そう思ったときには遅い。

 すぐ近くに、シエナ・フィンデルの姿があった。ゼノンが知る彼女の姿はそのまままずい、と思ったゼノンへと到達。




「ぐっ……!」

「駄目ですよ。よそ見は」




 背中に衝撃。
 押し倒された。

 いつもなら、もう手放しで喜ぶだろう。好きな人に押し倒されるだなんて、もう……。
 ―――末期だな、私は。
 こんなときにそんなことを考えたのは、自分くらいしかいないだろうと思う。


 力強いそれに呼吸が一瞬出来なかったが、それよりもぞっとする"何か"に気分が悪くなる。吐き出してしまったら楽になるだろうか。
 触れているのは、影。亡者の手だ。未練、憎悪。引き込もうとするそれは、ゼノンの身動きを奪っていた。


 光と闇。
 どちらも相反する。

 だが、今は闇のほうが強い。引き込まれないようにと踏ん張るしかない。いや、たかはが踏ん張ってどうにか出来るなら神官はいらない。




「偽者に押し倒される趣味はないのですが」 

「強がりもいつまで続くかな?」
 
「強がりの何が悪い」

「ふふふ――――」




 やろうと思えば、シエナの体を退けることが出来る。だが、今は力の加減ができない。そんな状態で能力を使えばどうなる。

 傷つけてしまう。

 わかっている。覚悟をしてきたはずだった。覚悟。それはジャナヤの件があったからこそ、予想がついたことによる、シエナへ下される処置。どうしようもなかった場合、どうするか――つまり、被害が広がらぬように、手を下すこと。殺すこと。ゼノンは誰かの手で殺されるならいっそ自分の手で、とも思っていた。馬鹿だ。本当に。


 出来るわけはがない。





「この女の目の前で殺してやろう。今度こそ壊れるように」





 目の前で歪んだ笑みを浮かべても、彼女であった。中身が違うが、間違いなく。彼女はそんな笑いかたをしない。わかっている。

 彼女であって、彼女ではない。

 傷ついた彼女が、ゼノンの死を理解したらどうなるのか。アンゼルム・リシュターが言う通り、壊れてしまう。壊れてしまったら、彼女は。 

 鈍い光を帯びた刃の切っ先が、ゼノンに向けられている。


 ここまでなのだろうか。




 シエナさん。
 シエナさん。

 助けられなくて、ごめんなさい。
 私は、私は。



 自分は、ここで死ぬのか?
 このまま?

 ――――それも、いいかもしれない。



 彼女が持つ刃がゼノンの喉へとふり下ろされるそれを見ながら、何故か冷静に思った。死を目前とすると、ゆっくり映像が見えるという。それから瀕死状態では、過去のことが足早に思い出されると。



 だが。

 

 いつまでたっても、痛みはない。変わりに亡者の冷たい感触はあるが、違う。何が?


 刃の切っ先は、ゼノンを貫かなかった。




「っ!?…………ぐっ…………」

「――――」




 何故なら、刃を握る本人が動きを止めていたからだ。
 握る手は、まるで誰かに止められているよえにふるえていた。力と力が拮抗しているように。だが、ここにはゼノンと彼女しかいない。なら、何故?


 ――――雫。


 鈍い光を帯びた刃ではなく、変わりに落ちてきたのは、雫だった。

 彼女の目から、落ちてきたもの。




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