とある神官の話
「世間が、貴方のことを、貴方がどうしてあんなことをした背景を知らないで忘れていくのなら、変わりに私が覚えていたい―――アガレス・リッヒィンデルという人のことを」
「シエナさん…」
すぐ近くに控えていたブランシェ枢機卿が、驚いていた。
私が文句をいいます、などといったとき、アガレスはなんともいえない顔をした。そして、私は狡い言葉をのべた。あの人には、もう未練がないように見えたから。どうにかして、引き留めるように。貴方の友人がいる。貴方の友人の娘がここにいるのだから。
――――父セラヴォルグは、育ての親に『とにかく生きろ』と言われたらしい。
父は自分の本当の親について、おぼろげしか知らないという。瀕死の母親がヴァンパイアの同族よりも信頼していた、ヒトの男に幼いセラヴォルグを託したそうだ。託された男が、セラヴォルグがいう"父"なのである。
ヒトの男は、ヴァンパイアのセラヴォルグの親を知っているらしいのだが、詳しく私は知らない。今さらながら、もっと聞けばよかったと後悔している。
ヴァンパイアはヒトの倍は生きる。
それは事実としてそこにある。
ヒトとヴァンパイアは、時の流れが違う。ヴァンパイアのほうが、多くヒトの死を見送るのだ。
それを、セラヴォルグの育ての親がこう言ったのだ。
『とにかく生きろ。お前をお前だと理解し、友とし、名を呼ぶ者らを大切にしろ。長命種族以外であろうとなんであろうと、お前を大切にしている者を大切にし――――覚えていろ』
『お前は多くのヒトの死を見るだろう。悲しむなとは言わない。悲しむときは悲しむべきだ。ただ、お前は覚えていてやればいい。彼、彼女がいたこと』
昔、父はそんな話をしてくれた。
その話を思い出したのである。
何だか熱く話してしまったと気づき、誤魔化すようにお酒を飲む。アルコールの熱さかじわりと感じた。
「……彼の最期の時、私は出来るなら側にいたいと思ってるんです。出来るなら、ですけど」
可笑しいですか。
そう聞いてみると、「いいえ」とはっきり否定された。
「私も、出来る限りお手伝いしますよ」
柔らかく微笑んだ。
それにどきりとして、ああもう、と落ち着かせようとしたのだが。
店内に軽快な音楽が奏でられ始めた。人の賑やかな声と重なり、賑やかというよりも少し喧しいくらいだ。
一体なんだ…?
よくよく見ると、楽器を持った人たちが店内の奥、邪魔にならないところに数人いるようである。先ほどはいただろうか…?あまり記憶にない。軽快な音楽に誘われたのか、いい具合に酔ったお客が音楽隊の前、少し開けているところで踊り始める。
そうなると、あとは連鎖的にだった。
「驚きました?」
ちららとゼノンを見ると、「私も最初は驚いたものです」という。
「ゼノンさんはこのお店をもとから知ってたんですか…?」
「いいえ。ランジットに引っ張られて来たのが最初です。ランジットらしいでしょう。たまにあの輪の中に引っ張られてましたよ」
「もしかして、夜はいつもこんな感じなんですか」
「大抵は。まあ、神官が引っ張られることはあまりないですよ。ランジットは別として」
ランジットが、あの踊る中にいるのを想像した。少し酔っぱらいに困りながらでも、慣れるとノリノリな感じなんではないのか。
軽快な音楽と、踊る男女。
見ているだけでも、ちょっと楽しい気分になるのがわかった。
「ゼノンさんがよく行くお店っていうイメージがないかも」
「でしょうね。ランジットに言われましたよ。キースもお前もあんまり似合わないと。教えてきたのはランジットだというのに
」
「でも、嫌じゃないんでしょう?」
「ええ」
ゼノン・エルドレイスといったら、若く将来有望な神官た。美形でファンがいたり――――そういう人のイメージは、なんというか、全体的にお洒落な感じなのだ。美化しすぎる、というか…。いくらイケメンだとしても、生理現象はあるし、なにかしら欠点はある。
回りが思う自分と、本当の自分の違い。
誰だって多少物事に対する用の態度くらいある。あの人にはこういう感じに。
それで、何だか"自分"がわからなくなるのだ。
ゼノンは、少しそんな気がする。回りのいう言葉と、自分との差でひりついて疲れることがあるのではないかと。
――――ぼんやり見ていたのが悪かった。
「そこのお嬢も、見ているだけじゃつまんないだろ?」
「お嬢って…私ですか?」
「踊れ踊れ~!」
歳でいえば、ブエナくらいだろうか?
陽気なおじさんと、おばさんにからめられ、私は困った。助けを求めるべくゼノンのほうを見たが「踊れますか?」と。
まさか。
踊れるはずがない。
というか、神官は引っ張られることはないんじゃ…いや、ゼノンはあまりない、としかいっていない。
ぼんやり見ているだけが、興味があるととられたのかもしれない。