とある神官の話




 神官は何のことをいってるのか、という顔をしている。




「誰が脚色をしたのやら…。いいかい君が聞いたという噂話の全てを真に受けてはいけませんよ。あれこれ付け加えられているんですからね」

「は、はい…」




 戸惑いがちの神官を置いて、部屋をあとにした。冷静に考えるとわかるかもしれないが、まあ、いいだろう。足早に宮殿内を進む。

 なったばかりの枢機卿衣は、まだ慣れない。略装ではあるものの、前の神官服と比べると見慣れなくて違和感がある。もう少したてばしっくりくるようになるのだろう。が「俺の若い頃にそっくりだ」と言われたそれには否定したい。


 宮殿内を歩くと、神官らから挨拶されたので返す。あれから休みということもあって、足取りは軽い。これから仕事とは関係ないし、自分達の時間だ。

 奥から出ると、多くの神官らを見る。宮殿は神官らが多くいるが、その身分や配属によって立ち入ることが出来る場所が限られている。―――この身分となってからは、ほとんど入れるが。


 宮殿内の出入り口付近に、黒。
 黒髪の女性神官の姿を見つけたが、彼女は神官と話しているようだ。何の話をしているのかわからないが、と近づいていく頃、神官は離れていく。彼女が息を吐こうとしたその肩に触れると「なっ」驚かれてしまった。

 振り返った彼女は、抗議の顔。




「びっくりさせないで下さいよ」

「そういうつもりはなかったんですが」

「…本当ですか?」




 じっとりと見てくるのは―――シエナだった。これから帰宅するらしい鞄が手にある。




「今のは?」

「ああ…ちょっと面白いというか、話を聞いて」




 二人揃って宮殿を出る。
 前はこうして並んで歩けば注目されていたが、もうそんなことは少ない。つまりそれは、ほとんど知っている、ということなのだ。当時シエナは色々と困っていたが…。

 結婚してから、一緒に住むようになったというのに口調が丁寧というのは、まあ、もう癖になってしまっているといえる。ランジットらと話すときにたまに砕けた話し方になるが、それでも多くなっているということはやはり、癖なのだろう。

 門を出ると、外はもう日が落ちていた。オレンジ色が濃く空を染めている。




「それで、どんな話を聞いたんです?」

「それが…その………」




 言いにくいのか、中々口に出さないシエナにふと、閃いた。

 ―――もしかしたら。

 それはついさっき、部屋で神官が話していたことである。あの神官は妙な話を聞いたといっていた。つまり、噂話である。

 その噂話というのは、だ。




「もしかして、とある神官のこと、とかでは?」



 シエナの顔が勢いよくこちらに向いた。知ってるの!?とでもいいたげだ。

 ああ、やはり。

 私の耳にも入るなら、シエナだって聞いてもおかしくない。
 それから、私が想像していた通り、シエナの顔には話を思い出したらしい赤みを帯びていた。




「もしかして、知ってたんですか?」

「いいえ。今日知ったばかりです。その神官は主に女性らの間で流行っているといっていましたが」

「…らしいですね。私も今日聞きました。聞いてて、あれって」

「私もですよ。なにも言いませんでしたが」

「言えませんよ…言えるわけない。ああ、一体誰が」

「誰、でしょうかねぇ」

「……………まさか」




 シエナの言葉に、苦笑をもらす。シエナの表情が段々怪しいものになっていき、少しの怒りと、やがてため息に変わった。




「たぶんそのまさか、かと」

「あのミイラ男め……どうしてくれるんですかもう」

「関係者はともかく、他は誰のことかわかりませんよ。たぶん」




 シエナはなんとも言えない顔をして「わかっていたらそれこそ問題です」と力なく呟いた。確かに問題だ。また視線にさらされかねない。


 ―――妙な話というのは、だ。

 ある高位神官が、同じ神官に恋をした話である。前者は男。恋をされたほうの神官は女であり、己より地位の高い者に惚れられるというものだ。しかも、熱烈に。
 女性はそういう恋愛話が好物である。どこから始まったのかわからないが、あっという間に広がったらしい。中の登場人物の名前はちゃんと伏せられているが、聞いた相手が相手だと「あれ?」となるに違いない。


 私や、シエナのように。








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