この空のした。〜君たちは確かに生きていた〜
 


西軍は休む間もなくものすごい勢いで進軍し、猪苗代湖北岸 日橋川(にっぱしがわ)に架かる十六橋(じゅうろくきょう)を確保しようとしました。


十六橋は、会津若松に入るための重要な拠点でした。



ここは戸ノ口原の入口で、ここを通過したのち沓掛峠(くつかけとうげ)滝沢峠(たきざわとうげ)を越えれば、若松はもう目の前です。



会津軍は十六橋を破壊して進軍を止めようとしますが、不幸にもこの橋は石橋で堅牢だったため、容易に破壊できず手間がかかってしまい、

橋の一部を壊した時点で西軍とぶつかり、橋の奪い合いで激しい戦いとなりました。



西軍の思わぬ迅速さに、会津軍首脳は大いにあわてました。


急ぎ援軍を送らねばならず、越後口から戻られた佐川官兵衛さまに防衛総督を命じ、城中に残っていた兵をかき集めるようにして召集礼状が出されました。



容保さまも滝沢峠の(ふもと)にある滝沢本陣に出向き、軍の指揮を取ることになりました。

そしてその護衛として、嘆願書を提出した白虎士中二番隊が選ばれたのです。



白虎士中一番隊は以前、越後口の野沢に出陣していたこともあり、今回は城中警護として残ることになりました。



一番隊の皆さまは地団駄を踏んで悔しがり、二番隊の皆さまは大いに喜んだそうですが、

これが 士中一番隊と二番隊の命運を分けることになろうとは。



誰が予測できたでしょうか。


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