FatasyDesire~ファンタジー・ディザイア~
 クレドは自分がキリエに仕事の内容を教えることはないだろうとぼんやりと思う。

 こんな自分を知られたくなかったし、知られたら彼女に幻滅されてしまうかもしれない。

 唯一自分が大切に思う彼女に拒絶されて正気でいられる気など、毛頭ないのだ。



 クレドはキリエが食事をしている間に、早速部屋に取り付けてある黒電話で勤務先のアリエルに電話した。




 ワンコールも置かない内に出てきたジュリナは、愛想の良い声でテンプレな言葉を並べた。



「クレドだけど」


「あら、アンタか。何?」



 そしてクレドだとわかると、一気に声のトーンが下がった。



「明日から復帰するから、客取り付けといて」


「もう? 随分早いのね。あの娘は大丈夫なの?」


「……体調は良いけど、やっぱり心配だから、トーマの所に預けることにした」


 電話の向こうから「過保護」と言われるが、構わない。



 明日の予定をジュリナから言われると、クレドは電話を切った。


 その間に綺麗に夕食を平らげていたキリエはキッチンに食器を持って行った所だった。


 それから流し台を物色するように眺めると、ハッと何かを見つけたように目が輝いた。


 キリエは食器を洗う為のスポンジを手に取った。




 それを見たクレドは慌てて彼女を止める。



「いいよ、俺がやるから」


 超お嬢様育ちのキリエは食器洗いなど、縁もない物だ。

 食器を割ってしまうことはクレドにとってはどうでも良いが、彼女に怪我をされては困る。



 しかしキリエは頬を膨らませて、嫌だとクレドを見る。



「わたしが洗いたい!」


 丸い平らな皿を左手に、スポンジを右手に持ったままキリエは言う。

 どうやら庶民にとって煩わしいだけの食器洗いも、お嬢様には興味の対象のようである。


 怪我をさせたくはない。けれども彼女のお願いを無下にすることなんて、この男には出来ないのだ。




「怪我しないように、気をつけてやるんだよ」



「うん! ねえねえ、どうやったら泡立つの?」



 キリエはパアッと笑顔になると、カラカラに乾いたままのスポンジを何度も握ってクレドに見せる。



「ああ、これは、水に付けてから洗剤を付けるんだよ」



 見本を見せようと、実行しようとしたクレドを慌てて止めて、キリエは「わたしがやる」と言って蛇口を捻った。



「その前に、」


 気の利く彼はパジャマの長い袖が濡れてしまわないようにと、両腕を捲ってやる。



 キリエはお礼を言ってから人生初の食器洗いに挑戦。



 クレドは一瞬自分が過保護すぎたかなと思ったが、それも束の間。

 彼の予想を上回る程のキリエの不器用さは凄かった。
 いや、無邪気故の行動も多々あるのだ。

 まず洗剤の染みたスポンジをお気に召したのか、きゃっきゃっと嬉しそうに泡を大量に発生させ、流し台を泡だらけにした。

 ネジの一本でも飛んだクレドは微笑ましくそれを見ながら、やれやれとそれを始末すると、次はちゃんと食器洗いに取り掛かった。


 だが、お次はスポンジで食器を擦るのをお気に召したのか、擦り過ぎて皿を割ってしまった。



 しょんぼりと謝るキリエだがそれすらも気にしないクレドは、微笑みながら「いいよ」と言って割れた食器を片付けた。


 流し台を泡塗れにしようが、食器を何枚割ろうが、彼にとっては些細なことで彼女が喜ぶのなら、もうそれだけで感無量なのだ。



 少々病的な甘やかしに本人達は気付いてはいない。




「お皿洗いってたのしいね! またわたしにやらせて」


 全ての食器を洗い終えたのは時計の針が半周してからである。


 キリエの愛らしい笑顔を見れただけで満足なクレド。



「もちろん。怪我はするなよ」


 皿を割ることについては全く触れないクレドは、キリエの怪我の心配だけはちゃんとする。


 キリエ以外の人間がこんなクレドを見れば驚愕するであろう。



 楽しい食器洗いを終えたキリエは、軽くシャワーを浴びるために軽い足取りでまた風呂場まで向かった。

 キリエは数分で出てくると、先程のパジャマを着てクレドの手を引く。



「ドライヤー、して?」


 下から上目遣いでねだられれば、クレドが断るはずもない。

 未だにドライヤーの使い方をわかっていないらしい彼女は、時折髪を撫でられる感触に気持ち良さそうにしている。

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