猫 の 帰 る 城
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「小夜ちゃん」
声がした。
柔らかな女の声が、現実のわたしの耳に響いている。
夢の世界から引き戻されていく。
うっすらと目を開けると、バックミラー越しに自分の名前を呼ぶ笠原さんがいた。
「もうすぐマンションに着くよ」
現実のわたしは、マネージャーの運転する車の後部座席で眠っていた。
寝ぼけ眼で窓の外を見れば、いつの間にか慣れ親しんだ町並みが続いていた。
日付をゆうに超え、等間隔に街灯が過ぎていくだけで、人の姿はほとんどない。
夜の窓には自分が映る。
少しだけ青い顔をした女が、こちらを覗きこんでいた。
「また、うなされていたみたい」
心配そうな女の目が、小さな鏡のなかで動いていた。
三十を過ぎ、薄い皺が気になると言っていたのを思い出す。
こんなに優しそうな目をしているのに、仕事になると打って変わって、大胆なマネジメントをするのだから、やり手と言われるだけあると思った。
額に浮いた気持ちの悪い汗をぬぐう。
ここ最近、忘れかけていただけあって、心も身体もショックは大きかった。
落ち着かせるように深く息を吐いて答える。
「大丈夫、ありがとう」
ミラーの中の目が、少しだけ悲しそうに、それでも安堵したように笑った。
それを見て、同じ言葉を繰り返し口の中で呟いてみる。
だいじょうぶ。
今まで何度呟いてきたかわからない言葉だった。
もう二年も経つというのに、これだけ階段を駆け上がってきたというのに、未だにそれが手放せていない。
夜の窓に小さく息を吐いた。
ちっとも前に進もうとしない自分に、ほとほとうんざりしていた。