猫 の 帰 る 城
「…もしもし」
僕は自分がいつ通りの声を出せているか自信がなかった。
それでも平静を装い通すしかない。
『いまどこにいるの』
真優の声はいつもより沈んでいた。
僕はそれとは正反対に、妙に明るい声色だ。
「どこって、大学出て歩いてるよ。正門出てすぐの横断歩道」
『…そっか』
真優はそう言ったきり黙ってしまった。
僕は困惑した。
嘘をついているときの沈黙は胸を押し潰してしまいそうなほど重く、痛いもの。
受話器の向こうからも雨音が聞こえるのがよくわかる。
僕はその気まずさに耐えかねて口を開いた。
「…もしかして、今日、なんかあった?」
横断歩道をとっくに渡りきり、僕はひとつ奥の通りに入った。
この通りを真っ直ぐ行き、右に曲がれば小夜子のアパートが見える。
『いや、別に…なにもないけど』
「そう」
『…ねえ』
「なに」
『…今日は…会えないんだよね…』
その一言に胸がつかえた。
胸がつかえて、次に出てくる言葉も見失った。
付き合っている女の子にそのセリフを言われたら、きっと誰もの胸がつかえるだろう。
だけど信じがたいことに、僕の胸はそのセリフにではなく、そのセリフを言われても心が全く揺さぶられないという事実につかえたのだ。
小夜子との約束を取りやめようと、仮にでも思うことができない事実に。
僕は自分の冷酷さを改めて突き付けられた気分だった。
真優が僕に会いたいと言って電話をしてきているのに、僕は小夜子に会うために電話を切ろうとしている。