猫 の 帰 る 城
僕は後悔していた。
小夜子がいなくなってから、僕はずっと後悔していた。
あの日、小夜子が僕に囁いた言葉。
「愛してる」という言葉に、僕が一度も応えていなかったことに気づいたとき、ほんとうにひどいことをしたと後悔した。
僕たちの関係はいつも漠然としていて、それは一緒に夏を過ごしていてもそうだった。
どれほど唇を重ね、身体を重ねても、すべてに踏み込むことはできない。
それは暗黙のうちに存在していた、お互いに超えてはいけない一線。
恋愛感情だ。
僕たちの関係は、お互いの恋愛感情から成立したものではなかった。
むしろ、そんなややこしい感情のない関係だったからこそ、僕たちは甘い蜜を吸うことだけに、楽しみを見出していたのだ。
けれど僕は、小夜子にそれ以上の感情を抱いてしまった。
それは真優と付き合っていくうちに、否が応でも気づかされた事実だった。
僕はその感情を押し殺した。
この関係を維持していく上で、それが最も大きな障害になることを知っていたからだ。
それでも、小夜子はこの街を離れると覚悟すると同時に、その一線を超える決断もしていたのだ。
今までずっと、曖昧なままだった僕らの関係。
複雑なことをなしにした、気軽な関係を一変させる。
「愛してる」
その言葉を言うまでに、どれだけの葛藤があったか。
僕自身、彼女にそのような感情を抱いているにも関わらず、一度も口にすることはなかった。
僕にはその勇気がなかったからだ。
僕はずっと後悔していた。
小夜子を愛している。
僕もずっと、小夜子を愛していた。
どうして僕は、その言葉を言うことが出来なかったのだろうと。
僕を抱きしめる彼女の背中に腕を回し、彼女の思いに応える。
二人の思いを確認し、僕は笑って小夜子に言うのだ。
小夜子の思うままに生きればいい。
小夜子の夢は、僕の夢だ。
僕はずっと君を愛している。
と。
それは完璧なまでも美しい、最高の別れ方だったのだ。