猫 の 帰 る 城
そうしていれば、きっと小夜子にあんな顔をさせることはなく、これほどの苦しみを味わうこともなかっただろう。
けれど、あの時も、そんなことはわかっていた。
ほんとうはわかっていた。
このまま小夜子に笑顔を向け、彼女の望みを肯定すれば、僕たちは美しく、きれいなまま別れることが出来る。
もし本当に彼女のことを思うなら、僕はここで引き留めてはいけない。
僕はわかっていた。
そこまでわかっていても、僕はそうすることが出来なかった。
僕は信じて疑わなかった。
小夜子は永遠に僕の傍にいると。
毎朝目を覚ませば彼女がいて、手を伸ばせば肌に触れることができて、それはこれからもずっと続くのだと。
底なしの沼に、二人で落ち続けることに、何の疑いも抱いていなかった。
僕は履き違えていたのだ。
愛する人を、永遠に縛っておくことなど誰にもできない。
小夜子には小夜子の思いが、僕には僕の思いがある。
そして、
小夜子には小夜子の未来が、僕には僕の未来がある。
それは必ずしも、ふたり一緒とは限らないのだ。
僕は小夜子がいなくなることに耐えられなかった。
小夜子が語る夢を、漠然とした見せかけの正論で壊してでも、彼女を失いたくなかったのだ。
それが僕の思いだった。
そして、それがどんなにひどいことか、僕は小夜子が涙を流すまで気づかなかった。
僕は後悔していた。
彼女を完全に失ったいま、僕は自分のしたことに、ただ後悔しては、記憶の彼女に思いを馳せることしか出来なかった。